バスを降りると目の前に現れる四条通りに面した西楼門はあまりにも有名です。(が実は表門は南楼門です)
全国にある八坂神社(約3000社)の総本社で、明治に改称されるまで祇園社、感神院と呼ばれていました。
日本三大祭の一つ「祇園祭」はこの神社のお祭りです。
縁結びの大國主社、美しくなれる水のある美御前社などもあり常に観光客であふれるスポットです。
八坂神社みどころ
御祭神は素戔嗚尊(スサノヲノミコト)・櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)・八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)で厄除け・疫病除けにご利益があるとされる人気のパワースポットです。(近年人気の縁結びスポットでもあります。)
平安時代より続く祇園祭はこの神社の祭礼で、室町時代には現在のように町々に山鉾があったことが文献にも残るほど歴史があります。
日本三大祭と言われ1カ月もの間さまざまな神事が行われ、中でも宵山とそれに次ぐ山鉾巡行では京都の中心市街地が、見物客で埋め尽くされるほどにぎやかなお祭りです。
祇園祭りについては、京都の夏 祇園祭ページで一か月の祭り(祭祀)内容をご紹介しています。
ちまきやお祭りの参加者が身に着ける「蘇民将来子孫也」の護符はその昔、素戔嗚尊(スサノヲノミコトまたは牛頭天王)が旅の途中で蘇民将来(ソミンショウライ)に受けたもてなしに喜ばれ 以後、蘇民将来子孫也の護符を持つものは疫病を免れると約束されたことにはじまるとされています。
境内には他にも多くの神々を祀り、中でも美人の誉高い宗像三神が祀られる「美御前社」に沸く神水は 肌の健康はもとより、心から美しく磨かれる「美容水」として 女性の参拝客に人気です。
お社の周りには美容関係ののぼりがぎっしりとならび、2~3滴お顔につけるとご利益があるとされ、祇園の芸舞妓さんも訪れるそうです。また近くに沸く御神水(力水)を飲んでこのお社にお参りすると美人になれるとか!(共に飲料水ではありませんと書かれていますが・・・)
大國主社に祀られる大国主命(オオクニヌシノミコト)は素戔嗚尊の子孫といわれ出雲大社の主祭神です。
10月に神々が出雲に集まる神在月(神無月)に神議が行われ、その際に人々の縁結びについても話し合われるといわれることから縁結びの神とされています。(また複数の奥様がいて御子神が180柱ともいわれることから・・・とも)
小さなお社ですが、鳥居の手前には「縁結びの神」とかかれた案内板に注連縄に白とピンクの御幣がかかげられ、石造りの鳥居をくぐればハートの絵馬が沢山かけられています。
大晦日から元旦にかけ行われるをけら参りは、御神火を竹でできた火縄に移した「をけら火」を、クルクル回しながら自宅へ持ち帰り、神棚のお灯明に使ったり、お雑煮を炊くのに使ったりして、新年をお祝いする京都のお正月を代表する風物詩です。
燃え残った火縄は「火除けのお守り」として、台所にお祀りします。
節分・祇園のえべっさん(えびす祭り)・観月祭等々年中行事も多く場所がらいつでも観光客であふれていています
周辺には徒歩圏内で観光スポットが満載で、散策しながらにぎやかな京都の街を堪能できます。
JR京都駅から八坂神社へアクセス&ちょっとおススメ
・市バス206系統(北大路バスターミナル行き)・市バス100系統(清水寺・銀閣寺行き)、いずれも「祇園」で下車して徒歩5分ほど
八坂神社は京都の繁華街の中心、四条通りに面しています。(というか突き当りです。反対側の突き当りは嵐山の松尾大社です。)
神社から四条通りを歩いていけば、お茶屋さんが並ぶ花見小路や鴨川へ、ちょっと北へ行けば祇園白川・巽橋も近くです。
反対の東側には枝垂桜の見事な円山公園が隣接し、南へ行けば、ねねの道~高台寺~二年坂~三年坂を経て清水寺へ、(途中には石塀小路・八坂の塔・くくり猿で人気の八坂庚申堂、幕末ファンには霊山歴史館や龍馬の墓もあります。)
北へ行けば、知恩院、青蓮院門跡は徒歩圏内。さらに足をのばせば、平安神宮方面へいくこともできます。
神社からの徒歩5分圏内には、着物のレンタル店が沢山あるので(舞妓さんに変身して散策できるお店もあります)
着物に着替えて京都の街を散策!も手軽にできます。
八坂神社と周辺地図
拝観時間 拝観料など
参拝自由
御祈祷の受付は9:00~16:00
年中行事
12月31日~1月1日
白朮(をけら)祭(をけら詣り)
19:30~5:00頃 お正月限定の「粥杖」や「掛火縄」の授与あり
12月28日にきりだされた御神火が大晦日の19:00~参拝者の願いを込めた「をけら木」と共に夜を徹して焚かれます。この火を火縄に移し持ち帰り神棚のお灯明としたり、お雑煮を炊いたりして新年を祝います。お祭り・お詣りの詳細はこちらのページでご紹介しています。
1月9日~10日
祇園のえべっさん
七福神を乗せた蛭子舟や福娘が四条通り石段下から烏丸間を往復し、途中商売の神様「冠者殿社」で「誓文払い]」を行います。
三社詣・福笹や吉祥飾りの授与、蛭子社では富岡鉄斎筆の復刻「宝船」版画が各500枚限定で配布されます。
祭りの詳細はこちらのページでご紹介しています。
節分祭
節分祭前日・節分祭当日
節分前日には京都にある4つの花街の芸妓舞妓さんによる奉納舞踊と豆撒きが行われます。
当日には今様奉納・祇園獅子舞や太鼓の奉納など、各芸能奉納と奉納者による豆撒きが行われます。
景品抽選券付きの福豆や串札の授与、常盤新殿喫茶室で「厄除けぜんざい」がいただけます。詳細はこちらのページでご紹介しています。
6月30日
大祓式
境内に大茅の輪が設置され、神事終了後に茅の輪くぐりで半年間の厄払いをします。
「蘇民将来子孫也」の茅の輪守りの授与があります。
7月1日~31日
祇園祭
1日の吉符入~31日の疫神社夏越祭まで、1カ月にわたって祭礼が行われます。詳細は上記記事内のリンク先(京都の夏 祇園祭)でご紹介しています。
9月か10月の中秋の名月
祇園社観月祭
奉告祭の後、雅楽や琴の奉納演奏があります。
10月20日
蛭子社祭・冠者殿社
蛭子社で祭礼が行われた後、「誓文払い」発祥の地である「冠者殿社」で祭礼が行われ、御神符の授与があります。
当日地元の御旅町商店街でお買い物をすると福引券がもらえ大福引きに参加できます。詳細はこちらのページでご紹介しています。
11月3日
明治祭
祭祀ののち、舞殿の前に大太鼓(だだいこ)が組まれ、弥栄雅楽会によって舞楽が奉納されます。
12月31日
大祓式・除夜祭・今宮戎神社鯛奉納
下半期、半年間の穢れを祓い、祭礼の後、境内3ヶ所の「をけら灯籠」に「をけら火」を移します。
灯籠から浄火を火縄にうけて帰り、神棚の灯明にしたり、お雑煮を炊く火に使ったりして一年間の無病息災を祈ります
また今宮戎神社の神職や福娘が、八坂神社を訪れ鯛を献じます。
八坂神社の歴史
八坂神社の由来は諸説あります。
社伝によれば創建は656年、高麗から来日した使節の伊利之(いりし)が、山城国愛宕郡八坂郷に 新羅の牛頭山より素戔嗚尊(高天原から天下った)を
奉斎したことにはじまるといわれています。
または876年に南都興福寺の僧・円如が、播磨国・広峯から牛頭天王を勧請し、藤原基経が精舎(寺院)を建立、観慶寺(または祇園寺)と称していましたが、
寺院は衰退し、寺域にあった天神堂が祇園社と呼ばれるようになりこれが八坂神社の前進ともいわれます。
(牛頭天王はインドでお釈迦様が説法をしていた、祇園精舎の守護神とされていたことから「祇園神」とも呼ばれ、これが祇園の名の由来とされています。
が現在牛頭天王は日本独自の神様ともいわれます。)
後に感神院という寺院が立てられ、祇園社感神院と呼ばれようになり、神仏習合の寺社として信仰されたといわれます。
(藤原基経が観慶寺感神院をこの地に建て、本殿を設けたのが現在の本殿の元ともいわれ・・・)
正直諸説ありすぎて・・・どれが本当なのか・・・
ただ、朝野を問わず信仰されていたのは間違いなく、天皇・貴族・武家などからの信仰は厚く、社領・神宝類の寄進、社殿の造営、天皇、上皇の行幸などが度々行われていました。
興福寺の末寺から比叡山の末寺になり、平安時代にはいわゆる南都北嶺(南都は興福寺を中心とした南都仏教教団、北嶺は最澄が開いた比叡山延暦寺のことで、互いの確執により闘争を繰り返し朝廷への強訴などを行っていた)によって興福寺の末寺で隣接する清水寺との間に度々境界争いがおこり、清水寺の焼き討ちなども行われ三年坂が戦場になることもあったと伝わります。
明治の神仏分離令で寺院は廃寺とされ、梵鐘は近くの大雲院へ、(ねねの道から円山公園へ行く途中にある鉾を模した祇園閣が有名で普段は非公開ですが、不定期で特別に公開されることもあります)追記・2018年京の夏の旅で7月7日~9月30日まで公開されます
仏具・仏像は所縁のあった左京区にある大蓮寺(に移されました。
(薬師堂のご本尊だった薬師如来立像(現・国の重要文化財)・日光月光菩薩・夜叉明王立像は秘仏、十一面観音立像は洛陽三十三所観音霊場八番札所の観音様として信仰されています。夜叉明王立像・十二神将像は1月1日~6日のみ公開されていますが、檀家の方以外はお堂の外からの拝観になります。)
祇園祭のはじまり
古くは祇園御霊会と呼ばれていました。
869年に都に疫病が流行ったときに神泉苑に当時の国の数の66本の鉾を立て、祇園の神を祀って 祇園社の神輿を送って厄災を払う祈りをささげたことが
のはじまりとされています。
平安時代には、疫病や天変地異は非業の死を遂げた六柱の御霊の祟りによるとされ、「(早良親王(さわらしんのう・桓武天皇の弟)、伊予親王(桓武天皇の子)とその母の藤原吉子、橘逸勢(たちばなのはやなり)、文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)、藤原仲成(ふじわらなかなり)または藤原広嗣(ふじわらひろつぐ)」
神泉苑にて鎮魂のために祭礼が行われました。(これが御霊会のはじまりです)
しかしその後も全国各地で天変地異が相次いだ為、行疫神(疫病をもたらす悪神)とされていた牛頭天王を慰撫することで災厄を払うために、神泉苑に当時の国の数・66本の鉾を立て、諸国の悪霊を移し穢れを払い、八坂神社から神輿三基を送って牛頭天王を祀ったのが、祇園御霊会のはじまりといわれます。
祭の規模は段々と大きくなり不定期に行われていたものが、970年からは毎年6月14日に行われるようになりました。
室町時代には山鉾があったことが記録に残り、応仁の乱での中断を経て1500年には復活、段々と山鉾も豪華絢爛なものになっていきました。
その後の度重なる火災で焼失するも、そのたびに町衆の手によって復興され、幕末の蛤御門の変での焼失、また明治維新後の混乱で長い間断絶した山鉾もありましたが、戦後次々と復興し2014年には後祭も復活しています。
1000年の歴史を誇る祭りで、今では日本三大祭として多くの観光客が訪れます。
絢爛豪華な懸装品で装飾された山鉾は「動く美術館」とも呼ばれ山鉾行事は国の重要無形民俗文化財に指定され、2009年にはユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
多くの摂社末社と重要文化財
八坂神社には本殿・舞殿のほかにも境内、境外に多くの摂社末社があり、重要文化財に指定される建造物も多数あります。
重要文化財は
四条通りから訪れるとはじめに出迎えてくれる西楼門・本殿と拝殿を1つの屋根で覆った独特のつくりが祇園造と呼ばれる本殿・祇園のえべっさん蛭子社の社殿・正面南楼門の手前にある石造りの鳥居
摂社末社は
女性に人気の美御前社・縁結びの大國主社・蘇民将来を祀る疫神社・素戔嗚命の荒魂(あらみたま)を祀る悪王子社・刃物の神を祀る刃物神社・穀物の神で商売繁盛の神様でもある宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る玉光稲荷社・お稲荷さんのお使い白狐を祀る命婦稲荷社・祇園のえべっさんの蛭子社・芸能の神様を祀る太田社・伊勢の内宮外宮の神様を祀る大神宮社・八坂神社の北東に建つ日吉社・誓文払いの冠者殿社・祇園祭でオハケが立てられる又旅社(御供社)
・現在の四条にある御旅所・旧御旅所として大政所御旅所・少将井御旅所旧跡
他にも厳島神社、大年社、十社、五社があります。
七不思議
京都の多くの寺院にあるように八坂神社にも七不思議があります。
7つ以上あるようですがここでは一般に言われる7つを紹介します。
1・西楼門には蜘蛛の巣も張らず、雨だれの後がない
2・本殿の下には龍穴と呼ばれる深い井戸があって、神泉苑や東寺までつなっがいる、また竜宮へつながっているともいわれます。
3・本殿の玄関、東の柱から西に向かって柏手を打つと音が大きく反響することから「龍吼・りゅうぼえ」と呼ばれます。
天井に描かれた龍が鳴くとも、柱の上にある龍の彫刻が鳴くとも言われています。
4・大神宮社にある二見岩は地表にある部分は一部で、実は地軸に届くほど深く伸びているといわれています。
5・大神宮社入口付近にある御神水は力水とよばれ、この水を飲んで美御前社にお参りすると美しくなるといわれています。
(ただし、飲料水ではありませんと書かれています。美御前社前にも美容水があり、こちらも美しくなれる御神水として人気があります)
6・日吉社の近くにある夜泣き石は夜な夜な泣くといわれています。
7・大神宮と悪王子社の間に忠盛燈籠があります。
忠盛とは平清盛の父で白河法皇の護衛をする北面武士(ほくめんのぶし)でした。
平家物語には五月の雨の降る夜、白河法皇が寵愛する祇園女御の元へ向かう途中、このあたりで鬼のようなものを見かけ、忠盛に討ち取ってくるよう命じます。
しかし、忠盛はまず正体を見定めてからと生け捕りにしたところ、雨の中燈籠に火を灯して回る社僧だったことがわかり、忠盛の思慮深さに感心された
法王は祇園女御を下賜され、その時火を灯していたのがこの燈籠を言われます。
物語ではこの時女御は懐妊しており、のちに生まれたのが清盛ということになっています。
他にも疫神社の鳥居には額が無く貫に疫神社と彫られている、通常社殿は北向きに建てないのに蛭子社は北向きに建てられている、本殿に小さな御車寄せがある、本殿・舞殿・南楼門が同じ高さに建てられているなどもあります。
※女性におススメの恋占いみくじや縁結び守り・美守り、数量限定の青龍御朱印、祇園祭期間のみの御霊会朱印、年末から節分までの恵方朱印、べっさん期間のみの三社詣朱印をはじめ、各社の御朱印などもあり、素通りしてしまうのはもったいない、いろんなご利益満載の、まさにパワースポットです。