理源大師聖宝が地主神(横尾明神)の示現によって霊水(醍醐水)を得て 、笠取山の山頂にお堂を建て准胝観音・如意輪観音を祀ったのがはじまりと伝わります。笠取山(醍醐山)全体が寺域で山頂付近を上醍醐・裾野付近を下醍醐と言い真言宗醍醐派の総本山です。
以前は上醍醐エリアに西国三十三所十一番札所がありましたが、2008年落雷による火災によって焼失してしまい、再建されるまでは下醍醐の観音堂が札所になっています。
みどころとアクセス
豊臣秀吉が「醍醐の花見」を行ったことで知られ、桜の季節には総門をくぐると参道(桜の馬場)がピンクに染まり、境内ではあちらこちらでさまざまな桜が咲き乱れます。霊宝館前のしだれ桜は見事でカメラを構えた観光客で大変な賑わいです。そして三宝院にある「土牛の桜」。日本画家・奥村土牛(おくむら とぎゅう)がこの桜を描き「醍醐」という作品を発表したことからそう呼ばれる素晴らしいしだれ桜。醍醐の花見当時の桜の子孫と伝わり、なんとクローンの桜も植えられています。
上醍醐へ登る途中には花見を行った跡地(槍山)もあり、毎年4月第2日曜日には「太閤花見行列」が開催されています。
三宝院の庭園を設計したのも秀吉で、国の特別史跡・特別名勝です。
国宝・重要文化財だけでも7万5千点余りを有し、春秋の特別拝観では企画展示でそれらの寺宝を公開しています。
一部でチョッパーと話題の大威徳明王を背にする水牛もこちらの仏像(霊宝館・仏像棟)です。最近は各所の仏像がいろんな所へ出張されているので、醍醐寺で見たい場合は確認してからお出かけになると良いでしょう。
桜の季節は下醍醐の境内がぼんぼりや桐の紋の幕などでかざられ、あちらもこちらもとにかく混雑しますが、下醍醐の一番奥・弁天堂のあたりは大きな池になっていて、水面に映る赤や黄色の美しい紅葉の名所でもあります。
毎年2月23日に行われる「五大力尊仁王会」は五大力さんと呼ばれ、力自慢の男女が巨大な鏡餅(男性150㎏・女性90㎏)を持ち上げ、時間を競うとともにその力を奉納しています。かつては上醍醐で行われていましたが現在は下醍醐で行われています。
7日間御祈祷され当日のみ授与される「五大力尊御影」を求めて沢山の参拝客が訪れます。
毎月29日には「五重大塔開扉 納経法要」が行われ、写経奉納料を納めた方のみ、五重塔内部を四方の扉の外側から拝観することができます。
なおこちらの五重塔は951年に建てられた京都で一番古い木造建築です。当日はフリーマーケットも行われます。
上醍醐に関しましては、上醍醐と奥の院をご覧下さい。
拝観時間・拝観料など
下醍醐エリア
拝観期間 | 拝観時間 | 拝観料 |
3月1日 ~12月第一日曜日の 春期・秋期以外 |
9:00~17:00 (拝観券の発券は終了1時間前まで 拝観受け付けは終了30分前まで) |
三宝院・霊宝館・伽藍(下醍醐エリア共通) 大人800円 中高生600円 小学生以下無料 |
春期3月20日~5月15日 秋期10月15日~12月10日 |
時間は通常期と同じ | 三宝院・霊宝館・伽藍(下醍醐エリア共通) 大人1500円 中高生1000円 小学生以下無料 |
12月第一日曜日の翌日 ~2月末日 |
9:00~16:30 (拝観券の発券は終了1時間前まで 拝観受け付けは終了30分前まで) |
三宝院・霊宝館・伽藍(下醍醐エリア共通) 大人800円 中高生600円 小学生以下無料 |
毎月29日 五重大塔開扉 納経法要 |
10:00~ 13:30~ |
写経奉納料1000円(別途通常拝観料) 写経料を納めた方のみ、扉の外側から内部の拝観ができます |
茶屋・売店
醐山料理 雨月茶屋(和食) | 9:00~17:00 (季節変動あり) | 予約のみ夕食可 |
雨月茶屋売店(京土産) | 10:00~17:00 (季節変動あり) | |
三宝院売店 | 9:00~17:00 | |
スゥ・ル・スリジェ~桜の樹の下で~ (フレンチカフェ) |
10:00~17:00 | |
阿闍梨寮「寿庵」(和食・和カフェ) | 10:00~17:00 (季節変動あり) |
上醍醐エリア
一年を通して入山できますが、徒歩のみの参拝になります(山上までは女人堂から1時間とありますが、体力次第でもう少しかかると思います。ちなみに私は数度登っていますが、途中休み休みで2時間以上かかります。上醍醐に札所があった時は車で近くまで行ける裏参道がありましたが、現在は閉鎖されています。)
女人堂で受付できなかった場合は必ず山上の寺務所で受付をしましょう。
天候によっては入山できないこともあります。
山上に着くまでトイレはありませんので、下醍醐から女人堂へ続く道の途中のトイレか、女人堂で済ませてから登りましょう。
3月1日 ~12月第一日曜日 |
9:00~16:00 必ず17:00までに下山すること |
大人600円 中高生400円 (下醍醐の拝観券を持っている場合は 大人500円 中高生300円 |
12月第一日曜日の翌日 ~2月末日 |
9:00~15:00 必ず17:00までに下山すること |
JR京都駅からのアクセスと周辺の観光名所
1・八条口バス停(ホテル京阪京都前)から山科急行(醍醐寺行き)で終点まで乗ると、醍醐寺の駐車場へ着きます。バス乗り場が京都駅から少し離れているので、地図(オレンジマーカー)を参照してください。
メモ
追記:2019年4月1日から上記の山科急行は「京都醍醐寺ライン」として、どの停留所でも乗降できる一般路線バスになりました。運賃も値下げになりより使いやす路線になります。なお京都駅での乗車場所や醍醐寺での降車場所に変更はありませんので、下記の地図をご参照ください。
また新たに京都駅~山科西(大石神社)~五条坂(清水寺)~西本願寺を結ぶ「西本願寺清水寺ライン」も新設されました。「京都醍醐寺ライン」とは、山科の「大石神社」で接続しますので、醍醐寺から清水寺方面へのアクセスがよくなります。詳細は京阪バス公式サイトでご確認ください。
2・京都駅からJR奈良線で「六地蔵駅・青マーカー」下車して、駅の北側にある京阪バス「JR六地蔵駅」(山科駅行き・黄色マーカー)に乗り換え「醍醐寺前」下車ですぐ総門です。
京都駅から醍醐寺への乗り換えバス停や駅など
地下鉄「醍醐駅」から地下鉄や電車を乗り継いで観光地へ
醍醐寺から公共交通機関を使って観光名所へ
醍醐寺は京都駅からは少し離れていますが、直通バスが通るようになってからアクセスは抜群になりました。
最寄り駅は地下鉄「醍醐駅」で、醍醐寺総門から徒歩15分ほどです。西へ向かって歩き、市営住宅の間を抜けた先にあるショッピングモールの地下に駅があります。
地下鉄・東西線で「太秦天神川(うずまさてんじんがわ)」行きへ乗れば、蹴上(けあげ)駅下車で南禅寺方面へ、東山駅下車で青蓮院や平安神宮方面へ、二条城前駅下車で二条城へ、終点の太秦天神川から嵐電(京福電鉄)に乗り換えれば、広隆寺・車折神社など嵯峨野・嵐山方面へ行けます。
途中烏丸御池駅で地下鉄・烏丸線に乗り換えれば、京都駅へ行けます。
反対の「六地蔵駅」へ行きJRに乗り換えれば、黄檗駅下車で萬福寺へ・宇治駅下車で平等院鳳凰堂へも行けます。
三条駅で下車して三条京阪駅から京阪電車に乗り換え北へ行けば、出町柳駅からは下鴨神社や鞍馬山・貴船神社へ。また反対の、淀屋橋・中之島方面への沿線には、八坂神社や清水寺、三十三間堂・東福寺・伏見稲荷大社・寺田屋・伏見の酒蔵などなど東山から伏見へかけての観光地が目白押しです。
醍醐寺から徒歩で周辺の観光名所へ
醍醐寺周辺の観光名所
醍醐寺総門前から旧奈良街道を南へ下ると徒歩10分ほどに善願寺があります。腹帯地蔵(安産祈願)と樹齢1000年を超える榧(カヤ)のご神木に彫られた不動明王(愛宕念仏寺の前住職で仏師だった西村公朝さんが彫られたのもです。生きている樹なのでいずれは表皮で包まれ見えなくなってしまう像です)で知られます。さらに徒歩5分ほどで一言寺(金剛王院)があります(だいぶ階段を登ります)。醍醐寺の塔頭寺院で醍醐五門跡の一つでした。一言(いちげん)観音と呼ばれ一言だけ一心に祈れば願いが叶うといわれ、33年に一度御開帳の千手観音さまがご本尊ですが、前回がいつかはっきりわかっていないようで、次回がいつになるのかわらないようです。
さらに南へ20分ほど歩けば日野のお薬師さんと呼ばれる法界寺があります。親鸞聖人生誕の地で、薬師如来に最澄作と伝わる体内仏が納められていることから、安産・授乳にご利益があるとして乳薬師とも呼ばれます。少し北にある恵福寺にも腹帯地蔵と呼ばれる丈六の木造座像が祀られています(拝観は要予約)。
醍醐寺総門前から旧奈良街道を北へ行けば徒歩5分ほどに西方寺にがあります。3月~4月にかけて織田有楽斎(信長の弟)が植えたと伝わる、樹齢400年を超える有楽椿(ワビスケ)が土塀越しに咲き誇ります。さらに道なりに北へ徒歩5分ほどで、弘法大師独鈷水(石碑があり、脇の道を登った山頂付近にあります)があります。弘法大師が独鈷(法具)で地面んをついたところ湧き出たとされる水で、醍醐三水(他に上醍醐の醍醐水・赤間薬師堂の威独水)の一つですが、現在飲めるかはわかりません。
さらに北へ徒歩10分ほどで隨心院へ到ります。小野小町邸跡と伝わり、化粧井戸や文塚などゆかりの跡が残ります。梅の名所として知られますが紅葉の名所でもありライトアップなども行われます。また周辺には小町榧(カヤ)と呼ばれる小町ゆかりの榧の大木が残ります。
隨心院から西へ徒歩15分ほどに勧修寺があります。醍醐天皇が生母のために創建した寺院で、桜・睡蓮・カキツバタ・花菖蒲・紅葉など、氷室池を中心とした庭園では一年を通じて様々な花々を楽しむことができます。また水戸光圀寄進と伝わる灯籠があり、「勧修寺型灯籠」と呼ばれ、周りを囲むように生えるハイビャクシン(ヒノキ科)は樹齢750年といわれる見事な木です。
醍醐味の意味と仏教用語
その昔・理源大師聖宝が霊験によってこの山に登られた時、 白髪の老人に姿を変えた地主神(横尾明神)に出会いました。(874年のことといわ理源大師は弘法大師・空海の孫弟子です)
この神は湧き出る水を口に含み
「ああ醍醐味なるかな」
と言われ、さらにこの地は仏法を広めるのに適した土地で、自分も擁護するからとここから民衆に教えを広げ行くことを勧められ、大師はその湧水を石で囲み霊水とし、一宇を建立し山名・寺名としたと伝わります。
醍醐味とはもともと仏教用語で、牛や山羊の乳を精製していくと 5つの味に変化していき最後にできた最高の味のものをさすそうです。
今でも山上にはこの水が沸き、いただくことができます。 苦労して山を登っていった先で飲む水はまさに「醍醐味」です。
醍醐天皇と醍醐寺
諡号(おくりな)をこのお寺の名から贈られた醍醐天皇からの信仰は厚く、皇子に恵まれなかった天皇が上醍醐の准胝観音に祈願し、のちの朱雀・村上天皇を授かったことから勅願寺となり、薬師堂を中心にした伽藍建立に尽力されました。醍醐寺のご本尊は薬師如来です(上醍醐の薬師堂に祀られていた仏さまは、現在は霊宝館に安置されています。病や痛みのある場所に金箔を貼って祈願したことから「箔薬師」とも呼ばれる国宝です)。
五重塔は醍醐天皇の菩提を弔うために、皇子の朱雀天皇・村上天皇によって建てられたもので 数々の火災や兵火でことごとく伽藍が焼失している中、平安時代から残る貴重なもので 京都で最も古い木造建築物として国宝に指定されています。
通常非公開ですが、月命日の毎月29日には扉外からですが拝観することができます(写経奉納料別途)。内部には両界曼荼羅・真言八祖が描かれていて 特に空海像は日本最古のものと伝わります。どっしりとした印象を受ける重厚感のある塔です。
豊臣秀吉 醍醐の花見と三宝院庭園
亡くなる少し前の豊臣秀吉が、各地から約700本もの桜を取り寄せ盛大に「醍醐の花見」を行ったことは有名です。桜の馬場(総門からの参道)・桜のトンネルそして霊宝館わきのしだれ桜など 春になれば桜の花が境内を埋め尽くし 、毎年4月には豊太閤花見行列が行われ今でも花見の宴が催されます。
醍醐の花見の際に植えられた桜の子孫が境内には残ります。そのうちの一本が三宝院大玄関前にある「土牛の桜」です。日本画家・奥村土牛がこの桜を題材に発表した「醍醐」からこの名をつけられた桜で、樹齢およそ150年といわれます。そしてこの桜のクローンがも植えられています。住友林業のバイオ技術によってつくられたクローン桜で、「太閤千代しだれ」として全国各地に植樹されています。
三宝院は1115年に醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建された塔頭寺院ですが、現在は本坊的な存在で、歴代の座主の居住する坊です。
三宝院2世座主・定海によって灌頂堂が建立され、鳥羽上皇の御願寺にもなり、室町時代初めまでは醍醐寺の座主を交代で出す五門跡の一つで(他に金剛王院・理性院・無量寿院・報恩院)、明治の神仏分離・修験宗廃止令までは真言宗系の修験宗・当山派の本寺でした。現在でも葛城山や大峯山の霊峰への入峰修行が行われて、2月に行われる五大力さんでは柴燈護摩法要が行われています。(天台宗系の本山派は現在・本山修験宗として聖護院が総本山になっています。)
三宝院第25世座主・満済が醍醐寺74世座主になってより後は、三宝院座主が醍醐寺座主を兼ねることになり、足利義満の猶子(親子関係を結ぶ制度)となるなど、足利家とのつながりも深く(黒衣の宰相)とも呼ばれました。
また醍醐寺80世座主・義演は豊臣秀吉・秀頼親子の支援を受け、応仁の乱で荒廃していた三宝院をはじめとする伽藍を再興しました。
秀吉自ら基本の設計をしたと伝わる三宝院の庭は、国の特別史跡・特別名勝に指定され、表書院の奥にある純浄観(通常非公開)は花見の時に使用した建物を槍山(上醍醐への登山途中にあります)より移築したと伝わります。秀吉の死後も庭園の整備は義演によって30年近く続けられたといわれます。
さまざまに意味を持たせた沢山の石が配され、中でも阿弥陀三尊を表した「藤戸石」は「天下人が所有する石」として、元は岡山県倉敷市藤戸町にあったものを、足利義満が鹿苑寺(金閣寺)にとりよせ、義政の慈照寺(銀閣寺)、義昭のために織田信長が作った二条城(現在の二条城とは違います)にも置かれ、秀吉の手に渡ってからは聚楽第から三宝院へ移されました。
四季折々に美しい表情を見せる庭を見渡せる 一段高いところにひっそりと豊国大明神(秀吉)が祀られています。死後に完成された庭を見守っているようでもあります。
三宝院のご本尊は快慶初期の作と伝わる弥勒菩薩座像(重要文化財・通常非公開)です。表書院は国宝で上・中・下段の間があり、下段の間は畳を上げると能舞台になります。長谷川等伯一派の作と伝わる襖絵や、石田幽汀(いしだゆうてい・円山応挙の師として知られる)作の孔雀と蘇鉄の襖絵があります。
下醍醐の伽藍
総門から三宝院入口を横目に桜の馬場をまっすぐ進むと豪華な唐門(勅使門)があります。旧伏見城の遺構とも伝えられ2010年に修復されて金箔と黒漆の見事な門になっています。そしてそのまま進むと(ちょっとかわいらし印象を受ける)仁王様が守る西大門があり、この門をくぐると下醍醐の伽藍になります。
ご本尊薬師如来が祀られる金堂は元は醍醐天皇の勅願により建立され、二度の焼失の後に秀吉・秀頼の時代に紀州より移築されたものです。
不動堂には五大明王が祀られ、目の前にある護摩道場では 世界平和を祈願する修験道の護摩法要も行われます。珍しい半跏の姿の不動明王で色彩も残り、静かなお堂は威厳に満ちてます。
西国三十三所第十一番札所 准胝観音御朱印
大講堂は現在は観音堂になっていて、御朱印はこちらでいただけます。
西国三十三所第十一番札所で、もとは理源大師が上醍醐に建立した准胝堂にあり、西国一険しい札所と言わていましたが、2008年の落雷による火災によってお堂が焼失、 この際二体あるうちの一体の准胝観音様も焼失してしまいました。
残る一体が観音堂に安置され、5月には開扉法要が行われています。
一番奥にある弁天堂の周りは「林泉苑」と呼ばれ 秋には紅葉やイチョウで美しく色づく隠れた紅葉狩りスポットです。
秀吉も春のお花見に続き、秋の紅葉狩りを楽しみにしていたと伝わりますが、果たせないままに亡くなっています。
もしも元気でいたならばさらに盛大な宴が催されたことでしょう。秋にはライトアップされ夜間拝観も行われています。
さらに奥には無量寿苑があります。滝が流れ落ち、そこから流れる小さな小川が弁天堂周りの池へと続いています。「寿庵」という和カフェもありますので、広い境内を登り切った先で、もみじを楽しみながらお茶することもできます。
春と秋に公開される寺宝の数々
桜の馬場から三宝院入口を少し過ぎたところを右へ進むと霊宝館への道が続きます。
明治の廃仏毀釈の際、各地の寺院では多くの文化財や仏さまが失われた中、醍醐寺では一丸となって寺宝を守り抜き、一点の寺宝も流失しなかったと伝わります。
このため今でも国宝・重要文化財を含む10万点を越える寺宝が所蔵され、春と秋には特別展が行われ公開されています。
平成館の一番奥には上醍醐の薬師堂ご本尊薬師如来が安置され 両脇に日光・月光菩薩さらに帝釈天・閻魔天を従え堂々たるお姿です。
安置される内陣はもともとのお堂のサイズに造られているそうで 前に広がるスペースでは法要のほか近年ではコンサートなども行われています。
向かいには上醍醐の五大堂に祀られていた五大明王像が安置されています。2014年に奈良国立博物館で公開されてから、上醍醐には戻らずそのまま霊宝殿に遷座されています。(あの山道を上り切った先に拝めることに意味もあったのですが、火災で失われることの多い上醍醐の寺宝、仕方ないこととはいえちょっと寂しいですね)
仏像棟では平安時代の五大明王が祀られていますが 目力の強い像で、五大堂・不動堂に祀られる像とはまた違った印象です。
それに比べると大威徳明王の乗る牛さんの目は・・・ なんというか一言で言えば、かわいらしいのです。
クリクリとした目のかわいい、まさにチョッパーな感じ。
桜や紅葉の季節には大変多くの方が訪れ混雑しますが、少し時期を外せばゆっくり拝観できますので 戦火・火災・明治の法難をくぐり向けた貴重な寺宝を ぜひ一度ご覧になってください。そしてお時間と体力のある方は是非上醍醐への登拝にもチャレンジを。