「日野のお薬師さん」として親しまれる真言宗醍醐寺派の別格本山です。
日野資業(すけなり)が薬師如来を造りその中に日野家伝来の最澄作と伝わる小さい薬師如来像を体内仏として納め これを安置するお堂を1051年に建立したのが始まりと伝わります。
法界寺の見どころとアクセス
日野家の菩提寺であり、一族の出身で浄土真宗の祖である親鸞聖人生誕の地とされています。またご本尊が体内仏を納めることから、安産子授けなどのご利益があると古くより信仰を集めています。
拝観時間・拝観料など
4月~9月 | 9:00~17:00 | 高校生以上500円/中学生以下200円 |
10月~3月 | 9:00~16:00 | ※不定休(075-571-0024 法界寺) |
毎年1月14日 | 19:30~ | 裸踊り 粕汁のお接待あり |
JR京都駅からのアクセスと周辺の観光名所
1・京都駅からJR奈良線で「六地蔵駅」下車して、駅の北側にある京阪バス「JR六地蔵駅バス停」から日野六地蔵線8系統(日野誕生院行き)に乗り換え「日野薬師」下車して徒歩1分ほど
法界寺周辺の観光名所などはこちらのページでご紹介しています。
周辺の地図
奉納されたよだれかけの多さは信仰の証
日野資業は藤原鎌足を祖とする藤原北家(ほっけ)の出身で、法界寺は日野家の菩提寺として かつては沢山の伽藍が立ち並ぶ大きなお寺でした。
承久の乱や応仁の乱など度重なる戦災のため多くの伽藍を失い、いまでは阿弥陀堂(国宝)と奈良の伝燈寺より移築された本堂の薬師堂(重文)が残るのみになっています。
(応仁の乱の元を作ったといわれる日野富子は この日野一族の出身として知られています)
ご本尊の秘仏薬師如来像は、体内に仏さまが納められていることから安産・子授け・授乳などのご利益があると古くから信仰され「乳薬師」の別名でも知られます。今でもお多く方が願掛けに訪れ 堂内には願い事の書かれたよだれかけがびっしりと奉納されています
(2016年京都春季非公開文化財特別公開で51年振りに薬師堂内部が公開され話題になりました)
毎年1月14日に行われる裸踊りは元旦より14日まで行われる修正会の結願の日の夜に、精進潔斎した少年・青年がふんどし姿で阿弥陀堂の縁側で、五穀豊穣・家内安全や健康など諸願成就を祈願します。
寒空に水垢離(みずごり・頭からみずをかぶる)を行い、「頂礼(ちょうらい)・頂礼」の掛け声とともに踊り(おしくらまんじゅうのような感じです)、この際の下帯/ふんどしは、妊婦さんが腹帯として使うと安産のご利益があるとされています。
親鸞聖人生誕の地だけど真言宗のお寺です
現在は真言宗の寺院でかつては天台宗のお寺として開かれた法界寺ですが、平安後期の末法思想・浄土信仰の広まりに従い、阿弥陀堂が建立されました。
国宝に指定されるお堂に安置されている阿弥陀如来座像は、平等院の阿弥陀さまを思わせるふっくらとした顔立ちの定朝様の丈六像で、こちらも国宝です。
日野一族出身で後に浄土真宗を開かれた親鸞聖人誕生の地でもあり、9歳で青蓮院で得度されるまでこの地で過ごされたとされる上人もこの阿弥陀様を拝まれていたのでしょうか。境内裏手には上人の父・有範 母・吉光女の御廟が残ります。
堂内の四天柱や天井の壁面には彩色の残る仏さまや飛天の姿が残り、かつては極彩色で彩られた極楽浄土の世界が堂内に満ちていたことを想像させます。
壁面に残る飛天図は完全な形で残るものとしては、日本で最古の貴重なものです。
東隣にある日野誕生院は、浄土真宗の本願寺でも開祖である上人の誕生を顕彰したいと、当時は天台宗だった法界寺の協力を得てお堂を建立したもので、当初は父の名をとって「有範堂」と呼ばれていましたが、改名されて現在に至ります。
「産湯の井戸」や「胞衣塚(えなづか)」なども残ります。(胞衣とは出産の際に胎児とともに母体から出る胎盤や膜などのことです)
阿弥陀堂や薬師堂前の池には蓮の花が植えられていて、夏には池を覆いつくす葉の間から多くの花が咲き幻想的な雰囲気に包まれ、隠れた蓮の名所になっています。
周辺には日野家の初代 藤原真夏が創建したと伝わる法界寺の鎮守社「萱尾(かやお)神社」や鴨長明が方一丈の小庵を営み「方丈記」記した場所と伝わる庵跡「方丈石」などもあります。