吉田神社は節分に行われる火炉祭で知られます。参道には沢山の露店が並び、境内には直径5m・高さ5mの巨大な火炉が築かれ御焚き上げが行われる3日の夜には大変なにぎわいを見せます。節分の四方参りが行われる社の一つで、深泥池から最初に鬼が逃げ込むのがこちらの神社とされています。
吉田神社のみどころ
859年に藤原山蔭によって、奈良の春日大社より勧請され創建された神社です。
室町時代末期に吉田兼倶(かねつぐ)によって吉田神道が開かれ、境内にある大元宮には八百万の神が祀られ、ここに参拝すると全国の神社に詣でたご利益があるといわれています。
また節分厄除け詣発祥の地とされ、前後3日間に渡って行われる節分祭には毎年約50万人もの方が訪れます。
境内には地域の産土神、摂社、末社が多数あり、料理の祖神やお菓子の祖神を祀るユニークな神社もあります。
拝観時間
境内自由
御祈祷などは9:00~16:30(社務所は9:00~17:00)
JR京都駅からのアクセス
1・市バス206系統(三十三間堂・清水寺・祇園・北大路バスターミナル行き)で「京大正門前」下車して徒歩7分ほど
2・市バス17系統((四条河原町・銀閣寺行き/錦林車庫前方面行き))で「京大農学部前」下車して徒歩7分ほど
吉田神社の周辺地図
吉田神社の歴史
吉田山は神楽岡とも呼ばれ古来より霊域とされ、吉田神社創建以前より水の神、雷の神が今は摂社になっている神楽神社に祀られていました。
都の鬼門にあたるこの地に、859年平安京の鎮守社として奈良の春日大社より
健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)
伊波比主命(いはいぬしのみこと)
天之子八根命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめがみ)
の四柱の神が中納言藤原山蔭によって勧請、創建されました。
健御賀豆知命、伊波比主命(別名フツヌシノミコト)は厄除け開運の神として天之子八根命は学問の神として、また天之子八根命と比売神は夫婦神として、夫婦和合や縁結びの神として祀られています。
巨大な火柱 火炉祭
吉田神社と言ったら何と言っても節分ではないでしょうか?
節分厄除け詣発祥の地といわれ、節分祭の行われる2・3日の両日には約800店の露店が並び毎年約50万人が訪れるといわれたいへんなにぎわいを見せます。
2日には平安時代に行われていた宮中行事を今に伝える追儺式(ついなしき・鬼やらい神事)が18:00~行われます。災いを象徴する三匹の鬼が方相氏と呼ばれる鬼神に退治される神事です。
3日の23:00~行われる火炉祭では、三の鳥居前に直径5m・高さ5mの巨大な火炉が築かれ御焚き上げされる様は圧巻です。
京都で行われる四方参り(よもまいり)のうちの一社で深泥池から最初に鬼が逃げ込むのがこの神社といわれます(四方参りについては、節分行事のページをご覧ください)。
玄関先にお祀りする疫神斎をはじめ、厄除守・開運守・節分神矢など節分期間中はクチナシ色の特別神符が授与されます。
また「抽選券付き厄除け福豆 」は当選商品を出品する協賛企業も多く車やテレビなど高価なものが当たるかも!と大変な人気です。普段は静かな境内ですが、この時ばかりは覚悟してお出かけくださいませ~。
1000人の参拝者と茅の輪くぐり
6月30日に行われる夏越大祓では三度息を吹きかけ厄を託された人形を焼納して、神官を先頭に約1000人の参拝者が
「みなづきの なごしのはらえするひとは ちとせのいのち のぶというなり」と唱えながら三度茅の輪をくぐります。
神事の後に、参列者には厄除け茅の輪が授与されます。(夏越の祓については、京都 夏越の祓ページをご覧ください)
八百万の神を祀る 斎場所 大元宮
鎌倉時代以降は卜部氏(後の吉田氏)によって神職が相伝されるようになり、室町時代末期には、吉田兼倶によって吉田神道が創設され左京室町にあった社を遷座し建立されました。
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、豊宇氣比売神(とようけひめのかみ)をはじめ3132柱の神が祀られ、こちらを参拝すれば全国の神社を参拝したのと同じご利益があるとされています。
現在の社は1601年に建てられたもので、茅葺で正面は八角形の社殿さらに六角形の後坊がくっついた独特の形で、国の重要文化財に指定されています。
毎年正月三が日と2月2日・3日、毎月1日には内院が特別参拝できます。
料理の神・お菓子の神
山内には摂社、末社が多数あります。その中でもユニークなのが料理の神様やお菓子の神様を祀るお社です。
山蔭神社は吉田神社を創建した藤原山蔭を包丁の神、料理の祖神としてお祀りしています。山蔭は光明天皇の勅命によって包丁式(料理作法)の新式を定めたといわれ、四条流包丁道の創設者で、それまで塩中心の味付けだった料理に塩、味噌、醤油などで調味をする方法を広めたといわれます。
5月8日に行われる例祭では、烏帽子・袴・狩衣姿で包丁と箸のみでまな板の上の魚をさばく生間流(いかまりゅう)式庖丁が奉納されます。
菓祖神社は京都菓子業界の総意により菓祖神社創建奉賛会が結成され、昭和32年に建てられました。御祭神は2柱で田道間守命(たぢまもりのみこと)と林浄因命(はやしじょういんのみこと)です。
田道間守命は記紀にも登場する人物で、垂仁天皇の命により不老不死の妙薬として「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」を求めて常世の国に渡ります。
苦節10年ようやく木の実を手に入れ帰国した時、すでに天皇は崩御されていて持ち帰った木の実の半分を皇后に献上し、残りの半分を御陵に捧げ嘆き悲しんだ末にその場で亡くなったといわれています。
この非時香菓は今の橘(たちばな)といわれ、古代日本では果物のことを「かし」と呼んでいたこと、そして後の聖武天皇が「橘は菓子の長上にして人の好む所なり」と記されたことからこの果実を持ち帰った田道間守命を菓子の祖神としてお祀りし、現在も菓子業界の方々より厚く信仰されています。
もう一柱の林浄因命は室町時代に宋より来朝し、中国では肉を詰めて食べる「マントゥ」にヒントを得て、肉食の許されない僧侶のために小豆を煮詰め甘みをつけた餡を包んで蒸した饅頭を日本で初めて作ったとされています。
子孫が後に室町八代将軍の足利義政より「日本第一番本饅頭所」の看板を、後土御門天皇からは「五七の桐」の御紋を拝領したと伝わります。京都のお店は絶えてしまいましたが、江戸時代に分かれた東京にある塩瀬総本家は始祖・林淨因とし現在も宮内庁御用達の老舗として営業されています。
4月19日と11月11日には京都の菓子業界の方々が集まり大祭が行われています。
吉田町地域の産土神として祀られる今宮社では10月第二日曜日に神幸祭が行われ、神輿・稚児・武者・剣鉾 等の神興行列が吉田地域の町内を巡行します。
神楽岡町地主の神として祀られる神楽岡社でも10月最終日曜日に神幸祭が行われ、鳳輦(ほうれん)・稚児・武者 等の行列が神楽岡町の町内を巡行します(鳳輦とは屋根に鳳凰の飾りのある天子様の乗る車のことで、お祭りでは鳳凰の飾りがある神輿のことです)
他にも
若宮社、神龍社、稲荷社、天満宮社、三社社、が山内には点在し、ちょっとしたハイキング気分でめぐることができます。
年間行事
毎月1日 | 8:00~16:00 | 斎場所大元宮 内院特別参拝できます |
1月1日 | 歳旦祭 7:30~ |
三が日は斎場所大元宮 内院特別参拝できます 10:00~福茶の無料接待あり |
2月2日 | 節分前日祭 8:00~ 古式追儺式(鬼やらい神事) 18:00~ |
2・3日両日は 斎場所大元宮 内院特別参拝できますまた菓祖神社にて菓子・豆茶の無料接待あり約800店の露店が並びます |
2月3日 | 節分当日祭 8:00~ 火炉祭 23:00~ |
疫神斎・厄除守・開運守・節分神矢など節分期間限定の の特別神符の授与あります数量限定の「抽選券付き厄除け福豆」授与もあります |
2月4日 | 節分後日祭 9:30~ 厄除け福豆 抽選会 13:00~ |
2月5日に公式WEBサイトにて当選結果発表 |
2月11日 | 紀元祭 10:00~ |
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2月18日 | 節分大祭奉納護摩焚祭 10:00~ |
神事の後、願い事の書かれた護摩木を御焚き上げ 参拝者にお神酒がふるまわれます |
3月17日 | 祈年祭 10:00~ |
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4月18日 | 例祭 10:30~ |
倭舞の奉納や調理された特殊な「御棚神饌」を供える 祭事が行われ、中門より見学できます |
5月8日 | 山蔭神社例祭 14:00~ |
手を使わず包丁と菜箸のみで魚をさばくという 「生間流式庖丁」の奉納などが執り行われます |
6月初旬の土日 (開催日は毎年異なるので 要確認) |
京都吉田山大茶会 10:00~17:00 (雨天の場合は 境内の幼稚園にて) |
2018年時点で9回目のイベントです 日本茶はもとより、世界の銘茶が集まる お茶のイベントです。 お茶や食べ物のお店が多数出店し、 本宮では笙・能管・舞踊の奉納があります |
6月30日 | 夏越大祓 16:00~ |
厄を託した人形を焼納し、参拝の方とお祓いの後に 茅の輪をくぐります 参拝者には、「茅の輪」が授与されます() |
12月31日 | 師走大祓 15:00~ 除夜祭 16:00~ |