松花堂庭園は江戸時代初期の僧侶・松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)ゆかりの庭園で、元は近くの石清水八幡宮にあって昭乗が晩年を過ごした草庵「松花堂」が、明治の神仏分離令によっていくつかの変遷の末に園内に移築されています。草庵跡地と現在の草庵が「松花堂およびその跡」として国の史跡に指定され、また書院のある内園は国の名勝に指定されています。
松花堂庭園・美術館のみどころとアクセス
松花堂庭園は草庵「松花堂」・泉坊書院・古墳を利用した枯山水の庭がある「内園」(こちらが名勝に指定されています)、茶室・美術館・水琴窟・つばき園・金明孟宗竹や笹類の植えられた露地庭のある「外園」からなる広大な庭園です。泉坊書院の車寄せは小早川秀秋の寄進によるもので、屋根の唐破風瓦に見える福・禄・寿は寛永の三筆と呼ばれた「福・近衛信伊(このえのぶただ)」「禄・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)」「寿・松花堂昭乗」の書をもとに作られたものといわれます。
外園には「松隠・竹隠・梅隠」3つの茶室があります。「松隠」は石清水八幡宮にあった瀧本坊に、小堀遠州と昭乗が造ったといわれる茶室「閑雲軒」を再現したもので毎月第2日曜日に茶会が開催されています。「竹隠」は金色と緑の市松模様が珍しい金明孟宗竹が植えられた現代建築で、春(3月~6月)と秋(9月~11月)の各日曜日に日曜茶会が開催されています。「梅隠」は千宗旦(千利休の孫)好みの茶室が再現されています。
美術館では昭乗の作品やゆかりの人達の作品や美術品の展示のほか、企画展などが開催されています。
松花堂といえば弁当。もともと種入れとして使われていた農具(四つに仕切られた箱)に昭乗が絵を書き漆を塗って、絵の道具やお茶席でのたばこ入れとして使用していたものを、吉兆の創始者が気に入って料理の器として改良しお点前等で供し、昭乗に敬意を払って「松花堂弁当」と名づけたものが広まったものといわれます。外園内にある「京都吉兆・松花堂店」では、庭園を眺めながら松花堂弁当や会席料理が楽しめます。
入園・入館時間や料金など
庭園
(暴風警報発令時には休園になる場合あり お問合せは松花堂庭園・美術館075‐981-0010 9:00~17:00まで)
開園時間 | 入園料 |
9:00~17:00(入園は16:30まで) | 大人 400円 高校・大学生 300円 小中学生 200円 |
毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌平日)と12月27日~1月4日は休園 |
美術館
開館時間 | 観覧料 |
9:00~17:00(入館は16:30まで) | 大人400円 学生300円 小中高校生 無料 |
庭園と併せての場合 大人360円 学生270円 小中高校生 無料 |
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特別展示のある場合は1500円を上限に 催しによって金額が設定されます |
昼11:00~ラストオーダー14:30 夜17:00〜ラストオーダー 19:00 |
松花堂弁当 5000円 ミニ会席 8200円 会席(要予約)13000円 等 |
喫茶 15:00〜17:00 |
アイスクリーム 500円 ケーキセット 700円 和菓子セット 1200円 等 |
店休 月曜日(祝日の場合は翌平日に振替) 木曜日午後・年末年始(12月27日~1月6日) |
JR京都駅からのアクセスと周辺の観光名所
1・JR京都駅からJR奈良線で「東福寺駅」下車して、隣にある京阪電車(淀屋橋・中之島方面行き)に乗り換え「八幡市駅」下車して、京阪バス32系統(樟葉駅行)か・77系統(男山車庫行)に乗り換え「大芝松花堂前」下車して徒歩3分ほど
2・京都駅から近鉄京都線で「丹波橋駅」下車して、徒歩2分ほどにある京阪電車(淀屋橋・中之島方面行き)に乗り換え「八幡市駅」下車して、京阪バス32系統(樟葉駅行)か・77系統(男山車庫行)に乗り換え「大芝松花堂前」下車して徒歩3分ほど
または
3・京阪電車・八幡市駅から2駅先の「樟葉駅(くずはえき)」で下車して、京阪バス32系統(京阪八幡行き)か・67系統(近鉄新田辺行き)に乗り換え「大芝松花堂前」下車して徒歩3分ほど
周辺の観光名所
京都市内と違って周辺への公共交通機関でのアクセスが良いとは言えませんが、八幡市駅には改札口近くに観光協会が運営するレンタサイクルがあります。「駅前・松花堂庭園・四季彩館」の三ヵ所で貸出・返却の受付をしていて、周辺の観光には便利です。詳細は八幡市観光協会のサイトをご覧ください。
八幡市駅から北には桜の名所「背割堤」が木津川沿いにあります。
駅からはちょっと遠いですが木津川を東へ行くと、増水時に橋げたが流される構造で時代劇にも登場する「上津屋橋」があります。上津屋橋から徒歩10分ほどには楠木正成が元弘の乱(後醍醐天皇を中心とした鎌倉幕府倒幕運動)で、笠置山へ参陣する際に立ち寄って願文を奉納したと伝わる「石田神社」があり、近くにある「四季彩館」では地元の野菜を使ったおばんざいがランチビュッフェで楽しめます(会席料理もあります)
八幡市駅から松花堂庭園・美術館までの間には、記録には残りませんがライト兄弟より早く空を飛んだ・二宮忠八が創建した「飛行神社」、昭乗の墓所のある「泰勝寺・たいしょうじ」、松花堂庭園内にある女郎花塚の悲恋のお相手「小野頼風の塚」、紅葉寺とも呼ばれる足利義満の母良子ゆかりの「善法律寺」、徳川家康の側室お亀の方ゆかりの「正法寺」、元は男山山上の石清水八幡宮の境内にあって、明治の廃仏毀釈で現在地に移された「八角堂」があります。(ここに祀られていた13体の化仏を背負う阿弥陀如来坐像(国の重文)は正法寺に移され、現在は指定日のみに公開されています。詳しくは正法寺公式サイトをご覧ください。)
京都駅から八幡市駅までの乗り換え駅の地図です
松花堂庭園及び八幡市駅周辺の観光名所の地図です
松花堂昭乗について
石清水八幡宮には明治の神仏分離令まで「男山四十八坊」と呼ばれるほど山内に多くの坊(お寺)があり、松花堂昭乗はそのうちの瀧本坊の阿闍梨だった実乗の下で剃髪し社僧となり、真言密教を極めて阿闍梨(高位の僧)になりました。書道・絵画・作庭・茶道・和歌と多方面に才能を発揮した文化人で、特に書においては青蓮院流・大師流などの書を学び、松花堂流(滝本流)と呼ばれる書風を確立して、近衛信伊(このえのぶただ)・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と共に「寛永の三筆」と呼ばれました。
茶人としての昭乗
茶の湯においては、小堀遠州・近衛信尋・沢庵和尚・江月和尚・石川丈山・林羅山・木下長嘯子など、僧侶・公家・武家・町人ら多くの文化人と交流があり、昭乗の所持していた茶道具は「八幡名物」(名物とは由緒のある優れた茶道具の意味)と呼ばれ、今でも珍重されています。瀧本坊にあった茶室は崖にせり出して造られた懸造り(かけづくり)の「空中茶室」であったことが、発掘調査で判明していて、小堀遠州と共に作った粋な茶室であったといわれます。
瀧本坊を弟子に譲り、泉坊に建て隠棲したのが「松花堂」です。二畳の広さの中に茶室・水屋(みずや・茶事の用意を整えるところで一般の台所のようなもの)・おくど(かまど)・持仏堂をそなえたつつましい方丈で、ここで生涯を閉じました。石清水八幡宮ふもとの泰勝寺(たいしょうじ)に墓所があり、境内にある茶席の「閑雲軒」は日本百席のひとつに数えられます。(泰勝寺は年に数日公開されていますが、要予約で定員になり次第終了です。お問い合わせは075-981-0056へ)
庭園の四季
春先にはお茶席にも使用される100種を越えるつばきの花々が咲き、趣向を凝らしさまざまに飾り付けられた美しい「つばき展」が開催されます(毎年3月終わりから4月はじめにかけての3日間、日程は八幡市観光協会サイトでご確認ください)
春には梅・桜、夏には天然記念物の金明孟宗竹、孟宗竹から変異した亀甲竹などおよそ40種に及ぶ竹や笹類、秋にはもみじやイチョウの紅葉が庭園を彩ります。趣きのある垣根もみどころで、お茶会の開かれる日に合わせて訪れれば、四季を感じながらお茶を楽しむこともできます。
悲恋の塚
庭園には女郎花塚(おみなえしづか)と呼ばれる石塔がありこんな昔話が伝わります。
平安の頃、小野頼風(おののよりかぜ)という男が男山のふもとに住んでいました。京で宮仕えをしていた時に一人の女性と深い仲になりますが、男は八幡に戻って二人の間は疎遠になってしまい、思い余った女が頼風を訪ねてゆくと、そこには妻と名乗る女性がいて「頼風は不在です」と帰されてしまいます。悲歎にくれた女は泪川(なみだがわ・現大谷川(放生川)上流)に身を投げて亡くなってしまい、女が脱ぎ捨てた衣が朽ちるとそこに女郎花が咲きました。頼風がそれを聞き花に近づくと、花は頼風を嫌うように遠のき離れると元に戻り、その様子を見て「それほどまでに私を恨んで亡くなったのか」と自責の念にかられ、頼風もまた泪川に身を投げて亡くなってしまい、この話を哀れんだ人々が二人の塚を築いたといわれます。すると川べりに一本の葦が生えてきましたが、大きくなるにつれ一方のみに葉をつけ女の塚に向かってたなびいているため「片葉の葦」と呼ばれるようになり、今でも恋しいというようにたなびいているということです。
頼風の塚は松花堂庭園から北へ2㎞ほどの御生菓子司・志゙ばん宗(じばんそう)近くの住宅街にひっそりと祀られています(上記の地図参照)。
四季の移ろいを感じながら花々を楽しむもよし、侘びさびの境地を楽しむもよし、花より団子で松花堂弁当を楽しむもよし、のんびりとした時間を過ごすのにぴったりのスポットです。