本山修験宗の総本山として、山伏の方々に信仰される寺院です。
聖護院といえばかぶら・大根・八つ橋などが有名ですが、これは明治まで西側にあった聖護院村でつくられていたことから名づけられた特産物です。
聖護院門跡のみどころとアクセス
上皇・法皇・女院が外出することを御幸と言い、白河上皇の熊野御幸に修験僧として名をはせていた三井寺の僧・増誉(ぞうよ)が先達を務め、その功績によって京都に一寺を与えられたのがはじまりの寺院です。
修験道の総本山として信仰され現在も山伏の方々の入峰修行(霊山高峰にての修行)が、春には葛城修行、秋には大峯奥駈修行(おおみねおくがけしゅぎょう)として大阪・奈良・和歌山の霊峰にて行われるほか、節分の2月3日や修験道の祖・役行者の命日6月7日には採燈大護摩供(さいとうだいごまく)が行われています。
修験道に関する仏像などを数多く所蔵していますが、明治まで歴代の門跡(住職)を皇族や摂関家が務める寺院だったことや、御所の火災の際には仮御所になるなど皇室との関係も深く、御所より移築された書院や狩野派の障壁画などゆかりの品も所蔵していて、毎年9月中旬から11月下旬頃にかけて特別公開されています。
境内の一部が旅館「御殿荘」「光淳」として営業され、史跡庭園や光格天皇ゆかりのお茶室を眺めながら足湯を楽しめます。
また年間10組のみ挙式を行えるプランを行っているところもありますので興味のある方は
075-708-6582 京都誓いの婚礼(株式会社京都春秋) 11:00~19:00(水曜定休)へお問い合わせください。
拝観時間や拝観料など
4月1日~8月31日 | 9:30~17:00 | 山門内塀重門が開放され、宸殿前の庭を通り本堂の参拝は無料 |
9月1日~3月31日 | 9:30~16:30 | 山門内塀重門が開放され、宸殿前の庭を通り本堂の参拝は無料 |
秋の特別公開 9月中旬~11月下旬ころ |
10:00~16:00(受付終了) | 大人800円 中高生・大学生600円 小学生以下無料(保護者同伴) 重要文化財の書院や狩野派の障壁画などが公開されます ※毎年カレンダーによって開催日が異なりますので詳細は聖護院公式サイトにてご確認の上おでかけください |
史跡旧仮御所聖護院・「御殿荘」「光淳」(旅館)
さまざまなプランがあります。詳細は旅館の公式サイトでご確認ください |
JR京都駅からのアクセスと周辺の観光名所
1・市バス206系統(北大路バスターミナル行き)で「熊野神社前」下車して徒歩5分ほど
2・地下鉄烏丸線(国際会館行き)「丸太町駅」で下車して、徒歩2分ほどの「烏丸丸太町バス停」から
・市バス204系統(北大路バスターミナル行き)
・市バス202系統(九条車庫前行き)
・市バス93系統(錦林車庫行き)
いずれかで「熊野神社前」下車して徒歩5分ほど
周辺の観光名所
最寄りのバス停名にもなっている熊野神社は聖護院の守護神とされ、新熊野神社(いまくまのじんじゃ)・熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)とともに京都三熊野と呼ばれています。生涯で34回も紀州熊野を訪れたといわれる後白河法皇にも信仰されたことで知られ、節分には火の用心のお札を受ける参拝の方でにぎわいます。熊野神社といえば八咫烏(やたがらす)。八咫烏といえばサッカー日本代表、ということでこちらでもサッカー上達のお守りが授与されています。
バス停から聖護院までの間には、どちらも本家と譲らない聖護院八ツ橋と西尾八ツ橋の両本店が向かい合っています。
聖護院門跡東隣にある塔頭寺院の積善院準提堂(しゃくぜんいん じゅんていどう)は人食い地蔵と呼ばれる石仏の崇徳院地蔵が境内に祀られることで知られます。向かいにある須賀神社は良縁にご利益があると人気の 懸想文(けそうぶみ)売りが節分祭に現れ、文を求める参拝客でにぎわいます。また日本で唯一交通安全の神様を祀るとされ、ペット用の首輪につけられる肉球刺しゅう入りのお守りなどがあります。
そのまま東へ10分ほども歩けばくろ谷さん(金戒光明寺)やうさぎいっぱい岡崎神社さらに東には哲学の道があり熊野若王子神社もあります。
南には平安神宮、北東には吉田神社などがあり、聖護院から少し足を延ばせば岡崎周辺の名所を巡ることができます。
聖護院と周辺の観光名所
年中行事
1月8日~14日 | 寒中托鉢修行 | 市内の信徒の家々を托鉢して回ります。冬の風物詩になっています |
1月25日 | 諡号記念法要と年賀式 | 役行者に「神変大菩薩」の諡号を賜ったことを記念する法要です |
2月2日 | 柱源護摩 | 本堂内で勤修されます |
2月3日 | 節分会 | 採燈大護摩供(さいとうだいごまく)が行われるほか、除災招福の豆まきが行われ甘酒の接待があります |
2月19日 | 開山増誉大僧正御正忌法要 | 増誉大僧正ご命日の法要です |
4月中旬 | 葛城修行 | 2泊3日で大阪・奈良・和歌山の葛城山脈に伝わる役行者法華経埋納地を巡拝します |
6月7日 | 高祖役行者報恩大会 | 役行者の命日に遺徳をしのんで行われる法要です。 献茶式・法華経三味供・採橙大護摩供が行われます。 この日にご祈祷された御札は学業成就・身体健勝・家内安全等に御利益があるとされています |
9月初旬 | 大峯奥駈修行 | 5泊6日で大峰山脈の吉野から前鬼までを、毎日約20~25kmを約12時間かけて歩きます。 |
11月29日 | 智証大師講法要 | 本山派修験道の密教教学の祖とされる智証大師の命日に遺徳をしのんで、奠供作法(てんくさほう)と呼ばれる独特の法要がが声明と共に行われます。 当日申込者には大師の御好物の品を添えた大師膳が供されます。 午後に世界平和、除災招福を祈念し大般若波羅蜜多経六百巻転読法要が行われ希望の参拝者はお加持を受けられます |
毎月1日・21日 | 修行講習会 | |
数年に一度 | 国峰修行 |
蟻の熊野詣 ・「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」
熊野御幸は宇多法皇にはじまるといわれます。
それから百年以上後の1090年・白河上皇の熊野御幸に修験僧として名をはせていた三井寺の僧・増誉(ぞうよ)が先達を務め、その功績によって京都に一寺を与えられ、後に聖体護持(聖体とは天皇など貴人のお体のことで、天皇や貴人をおまもりすること)の寺として「聖護院」となりました。
(熊野は辺境の山岳地帯にあったために参詣の道案内が必要とされ、それを務める修験者のことを先達(せんだつ)と呼び、道案内だけでなく道中での儀礼や作法などの指導も行いました)
以降上皇・法皇の間で紀州熊野への参詣が盛んに行われ、白河上皇は9回・後白河法皇は34回など皇族の度重なる参詣によって、貴賤男女を問わず熊野詣が行われるようになり、「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」「蟻の熊野詣(熊野参り)」といわれるほど、多くの方々が険しい山道を越えて熊野にある本宮・新宮・那智の三山を詣でたといわれます。
増誉上人は新設された熊野三山検校(くまのさんざんけんぎょう・熊野三山を統括する役職)に任じられるなど朝廷から重用され、(天台座主にも任じられましたが比叡山の猛半反発により一日で辞任。後に朝廷から大僧正の位を授かっています)
聖護院も最盛期には2万を超える末寺を抱えていましたが、明治の廃仏毀釈・神仏分離令・修験道廃止令によって約500ケ寺にまで減少し、今では150ほどになっているといわれます。この際に廃寺となった末寺から預かったお不動様が多数安置されています。(以前うかがったときには、大小さまざまなお不動様などがずらりと安置されていました。)
修験の道とは、この世に生を受け、どう生きるかを探す一つの道。
「信仰は自由である」
今までの信仰、家の宗旨を変える必要は何も無く、家の宗旨や今までの信仰を否定してはいけません。
そう公式サイトにあります。みんながそう思えれば、争いごともなくなるのでしょうか。
現在も「来るもの拒まず。去るもの追わず」の精神で老若男女を問わず山伏を志す方を広く受け入れているそうです。
柴燈大護摩供や独特の法要を行う智証大師講法要などが行われていますので、興味のある方はまずは行事に参加してみてはいかがでしょうか。
国指定の史跡・聖護院旧仮皇居
この地に創建されてより4度の火災に遭い市内を転々としたのち、およそ300年ほど前に現在の地に再建されました。
明治までは西側に聖護院村があり、付近には森が広がっていたことから「森御殿」とも呼ばれ、この森は紅葉が錦の織物のように美しかったことから「錦林」と呼ばれ、今でも付近に地名として残ります。
後白河法皇の皇子・静恵(じょうえ)法親王が入寺して以来門跡寺院となり、明治に至るまで歴代の住職を皇室や摂関家から迎え皇室とのゆかりも深い寺院です。
御所の火災の際には仮御所となり、1788年の天明の大火では光格天皇の、1854年の嘉永の大火では孝明天皇と皇子祐宮の仮御所になり、聖護院旧仮皇居として国の史跡に指定されています。光格天皇が仮御所とした際の玉座や御学問所、亀山城主より献上された茶室が残ります。なお修験道の開祖・役行者に(神変大菩薩)の称号を送ったのは光格天皇です。
風雅な書院は女院御所
書院は重要文化財に指定されていて、後水尾天皇が側室・逢春門院(ほうしゅんもんいん)隆子に贈った女院御殿です。逢春門院は天皇との間に6男4女を設けた女性で、そのうちの一人が29代門跡になったこともあり、聖護院が現在地に再建された際に御所より移築されました。
当時は高価だったガラスのはめ込まれた障子、植物のモチーフを用いた違い棚、菱型の模様が用いられた欄間など、細部にわたって意匠の凝らされた空間には雅な風情が漂います。日本建築に幾何学模様を取り入れたのは、後水尾天皇が最初といわれています。
4度の火災にも大切に守られたご本尊・平安時代の不動明王立像、役行者像・蔵王権現像・孔雀明王像・三方荒神像など修験道に関する仏さまのほか、左右の印相が逆(両手の上げ下げが逆)の珍しい逆手阿弥陀如来立像(泉涌寺の塔頭・悲田院に伝わる像が知られています)などのほか、100面を超える狩野派による障壁画などはぜひ秋の特別展で。