角屋は江戸時代の饗宴・もてなしの場である揚屋建築の唯一の遺構です。
幕末には新撰組や西郷隆盛も通ったといわれ、刀傷なども残ります。
文化サロンや饗応の場として使われたため、室内のしつらえも意匠を凝らしたものが多く残され、国の重要文化財に指定されています。
また臥龍松(現在は2代目です)の有名な庭は京都市の名勝に指定され、庭に面した松の間は国の登録有形文化財に指定されています。
開館時間と期間
3月15日~7月18日 9月15日~12月15日 |
10:00~16:00 | 一般1000円 中高生800円 小学生500円 月曜休館(祝日の場合は翌日) |
2階特別公開 | 10:15 13:15 14:15 15:15 各定員20名 |
上記料金とは別に 大人800円・中高生600円・小学生以下はお断り 電話にて事前申し込み(075-351-0024)10:00~17:00 |
JR京都駅から島原・角屋へのアクセス&周辺の名所
1・市バス205系統(金閣寺・北大路バスターミナル行)で「梅小路公園・JR梅小路京都西駅前」下車して徒歩5分ほど
2・市バス208系統(西大路駅行)で「梅小路公園・JR梅小路京都西駅前」下車して徒歩5分ほど
3・市バス206系統(大徳寺・北大路バスターミナル行)で「島原口」下車して徒歩10分ほど
4・JR山陰本線(亀岡・園部方面行き)「梅小路京都西駅」下車して徒歩5分ほど
周辺には新撰組にゆかりのある名所が多数あります。
角屋から東へ歩けば揚屋として唯一残る「輪違屋」やかつての花街の東入口だった「島原大門」、さらに東へ行くと新撰組が屯所とした「西本願寺」があります。
角屋から北へいくと近藤勇の銅像や新撰組隊士の墓所のある「壬生寺」最初の屯所とした「八木家(八木邸)」があります。
壬生寺方面へは徒歩で20分ほどです。(バスで移動もできますが、停留所からそれぞれへのアクセスが悪くバスを使っても同じくらい歩きます。徒歩での移動が困難な時はタクシーのほうがよいかもしれません)
島原・角屋周辺地図
揚屋とは
揚屋とはお客が太夫や芸妓をまねいて遊興した店で(今ならば高級料亭に芸子さん舞妓さんを呼んで遊興する感じでしょうか)
角屋は座敷、調度、庭のすべてが社寺の書院、客殿と同等のしつらいがなされた江戸時代の京都では民間最大規模の宴会場でした。
お茶会や句会なども開かれるなど文化サロン的な役割も果たしていたことから大座敷に面した広庭には茶室が設けられ、寺院の庫裏と同等の台所を備えていました。
幕末の志士たちや文人墨客も
幕末には勤皇派・佐幕派どちらの会合にも使用され、新撰組の芹沢鴨が暴挙を働いた際にできた刀傷が残っています。
(芹沢鴨が粛清された時には土方らがまずここで泥酔させ、屯所の八木邸に戻り寝ていたところを襲い暗殺が実行されました)また久坂玄瑞や西郷隆盛が密議に使用したとして、「長州藩志士久坂玄瑞の密議の角屋」「新撰組刃傷の角屋」の石碑が建てられています。
江戸中期には俳諧が盛んになり、当時の当主が与謝蕪村を師として招いたことから蕪村による絵画や短冊、書簡などが多数残され、「紅白梅図屏風」「紅白梅図襖」は国の重要文化財に指定されています。
なぜ島原?
角屋のある島原は正式な地名ではありません。(現・下京区新屋敷揚屋町です)
元は六条三筋町にあったものが官令によって移転を余儀なくされ、その際の騒動が、移転の数年前に起こった島原の乱を思わせたことから「島原」と呼ばれるようになりました。
一般人も自由に出入りができるなど自由で開放的な街ではありましたが立地の悪さや格式の高さが原因となって次第にさびれてゆき、現在も営業しているのは輪違屋のみです。
太夫はもとは舞や能に優れた者に与えられた称号で、舞太夫・能太夫と呼ばれそれをルーツに持つとされる島原太夫は、舞踊、音曲、お茶、お花、和歌、俳諧などの教養を身に着けていました。
現在も輪違屋には数名の太夫が在籍し、お座敷のほか京都のイベントなどに参加されています。