◆如意輪寺近鉄奈良駅からアクセス
近鉄奈良駅→大和西大寺で橿原線に乗り換え→
橿原駅から吉野線へ乗り換え 終点吉野駅から4・5㎞ほど
吉野駅からはロープウェイで吉野山駅まで行けるので、金峯山寺や吉水神社など周辺を巡りながら歩いていくか、直に行かれるならばタクシーを利用すると便利です。
◆如意輪寺拝観時間
4月の観桜期7:00~17:00
そのほかの時期は9:00~16:00
大人400円中高生200円小学生100円
毎年4月7日~9日に本尊如意輪観世音菩薩の特別御開帳
また秋に御霊殿の特別公開があります
◆如意輪寺簡易歴史解説
平安時代に日蔵上人によって開かれたと伝わります。
南北朝時代には後醍醐天皇の勅願寺に定められ、天皇はこの地で崩御され本堂裏山に葬られています。(塔尾陵・とうのおのみささぎ)
以後、衰退していましたが鉄牛上人の再興により浄土宗の寺院になり現在に至ります。
御本尊に如意輪観世音菩薩を祀ります。
◆如意輪寺 後醍醐天皇と楠木一族
かえらじとかねておもえば梓弓なき数に入る名をぞとどむる
金峯山寺や吉水神社とは谷を挟んで離れた塔尾山の中腹にあります。
楠木正行が四条畷の戦いに際し覚悟の上で天皇陵に詣で、本堂(如意輪堂)の扉に矢じりで「かえらじとかねておもえば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」 と辞世の句をしるし出陣したと伝わり、その扉が残されています。
またこの時に正行公と従う143人が奉納した髻が、御陵の西に埋められ楠塚とよばれましたが、現在の地に移転改葬され正行の髻塚として祀られています。
弁内侍は後村上天皇より正行の正室にと進められた宮廷に努めえる女官でしたが、死を覚悟していた正行はこれを辞退し戦場に赴きます。
戦士の報を受けると弁内侍は悲しみのあまり尼になり菩提を弔ったといわれます。
この時に黒髪の一部を埋めたのが至情塚と伝わります。
異形の王権 後醍醐天皇、北面の陵
御霊殿には後醍醐天皇自ら刻まれたと伝わる木造が安置され秋に特別公開されています。
右手に剣・左手に経巻を握りしめ京都の方角をにらみつけたまま崩御されたといわれ、通常御陵は南向きに作られますが後醍醐天皇陵は京都の方角・北を向いていて北面の陵ともいわれています。
宝物館 難切り不動と蔵王権現
宝物館には天皇の稔侍仏と言われる蔵王権現の他 吉野大曼荼羅・大涅槃図、天皇や正行ゆかりの品が展示公開されています。
近畿三十六不動尊霊場・三十番霊場で、こちらのお不動さまは「難切り不動」と呼ばれ 石仏としては日本最大で、あらゆる災難を切ってくれると熱心に信仰されています。
中千本と言われるエリアにあり春には桜に包まれる境内には 今は静かな時が流れています。