こちらでは天皇陛下御即位奉祝「春期京都非公開文化財特別公開」2019春の会場のうち、東寺と泉涌寺へJR京都駅からのアクセス方法をご紹介します。
四国八十八カ所への第一歩と御寺
他県から新幹線で京都を訪れる場合ランドマークといえるのが八条口では東寺の五重塔・烏丸口側では京都タワーでしょう。車窓からも見えるのですが、駅に降り立ちビルの間から五重塔を見つけると、あ~京都についたな~と感じます。東寺は京都駅から一駅ですが、歩いてゆくこともできる距離です。四国八十八カ所を巡る人はまず東寺の御影堂でお大師様に出発のご挨拶をしてからといわれ、食堂(じきどう)にはお遍路に必要なグッズが沢山扱われています。
泉涌寺(せんにゅうじ)は皇室の菩提所となっていることから御寺(みてら)と呼ばれます。総門から大門までの間に沢山の塔頭寺院があり、塔頭寺院を横目に坂道を上ってゆくとやがて左手に大門が見えてきます。そして大門をくぐると今度は坂道を下った先に泉涌寺の境内が広がります。
東寺
1・近鉄京都線で「東寺駅」下車して徒歩8分ほど(南大門まで)
2・市バス205系統(九条車庫行き)で「東寺道」下車して徒歩5分ほど(東門まで)
3・市バス42系統で「東寺東門前」下車すぐ(一時間に一本)
他にも78系統・19系統・八条口から16系統などもありますが、遠回りしてのアクセスだったり本数が少なかったりします。
※京都駅八条口からは徒歩15分ほどです。
メモ
東寺は東西南北どちらにも入口がありますが、拝観受付は講堂の北側のみになりますので、公共の交通機関でアクセスする場合東門が一番受付に近くなります。東門(交番脇の慶賀門)から入って左手に五重塔をみながら受付口まで行くと、途中で枝垂桜(不二桜)や五重塔・講堂・金堂が一堂に見渡せます。
講堂は弘法大師空海が密教の教えを立体的に再現したもので、二十一体の仏像群が堂内にひしめきいつ訪れても身の引き締まるおもいがします。イケメンと話題の帝釈天像はここに安置されています。
講堂の方が話題になりがちですが金堂が東寺の本堂で、ご本尊はお薬師さま・足元には十二神将が控えています。
五重塔は日本で一番高い木造建造物で、今回公開される初層は通常は非公開です。
春と秋に公開される宝物館には、かつて羅城門に祀られていた兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)立像、食堂のご本尊だった約6mの高さのある千手観音立像(元は千本の手のあった像で、火災によって焼失していますが現在も100本をこえる小さな手が残ります。国宝・重文に指定される像では国内最大の千手観音像です)、西寺にあったと伝わわる地蔵菩薩像などのほか、毎回さまざまなテーマに沿った特別展が開催されます。
観智院は北門から境内を出てすぐ右手にあります(以前は特別公開のみでしたが、通年で公開されるようになりました。)
東寺御影堂(大師堂)では四国八十八ケ所お遍路巡り出発のご挨拶をするのが習わしで(終了は高野山奥の院で行います)、食堂ではお遍路さんグッズなどが沢山販売されるほか、毎月21日にはお堂の周りに八十八か所を再現したお砂ふみが行われています。
東寺周辺の観光名所
九条通りを西へ行くと矢取地蔵寺(やとりじぞうじ)があります。伝説によると淳和天皇の御代に日照りが続き、天皇の命により東寺の空海と西寺の守敏による雨乞いが行われました。雨を降らせることのできた空海を逆恨みした守敏が、羅城門近くで待ち伏せし空海に向けて矢を放つも、黒衣の僧が現れて代わりに矢を受け難を逃れたといいます。その黒衣の僧は実はお地蔵様で、後に矢取地蔵・矢負地蔵と呼ばれ信仰されたと伝わり、現在のお堂は明治に地元の方々が寄進したものです。
矢取地蔵寺北側の小さな公園内に羅城門跡の石碑が残ります。羅城門はかつての平安京の正門で、朱雀大路の南端にありました。東寺に残る兜跋毘沙門天像(とばつびしゃもんてん)や三彩釉鬼瓦(三彩釉・さんさいゆうとは焼き物に使われるうわぐすりの一種で、焼くとガラス状になります)は、羅城門にあったものと伝わります。
さらに九条通りを西へ進み七本松通りを北へ行くと小学校の裏に西寺跡の公園があります。東寺と並ぶ官寺として同じ規模の寺域を誇る大寺院でしたが、数度の火災の後に廃寺となり、現在は講堂跡に後世に造られた土塁と石碑が残るのみです。
公園の北側にある鎌達稲荷(けんたついなり)神社は、勝負運・災難除け・弾除けなど、奇跡を生むご利益があるとされ、サムハラ守りは人気があります。サムハラは漢字のような四文字の神字で文字自体にご利益があるとされ、加藤清正が朝鮮出兵の時に刀に刻んで無事帰ることができたといわれ、戦時中には弾除けの御守として千人針や衣服に記されたそうです。
東寺から北へ行くと清和源氏発祥の地といわれる六孫王(ろくそんのう)神社があり、中央にかかる太鼓橋は恋の架け橋と呼ばれ、縁結びのご利益があるとされています。桜の季節には黄緑色のウコン桜が咲き、隠れたお花見スポットになっています。
さらに北ある梅小路公園には京都鉄道博物館や京都水族館などのほか、軽食カフェやレストランなどもありお子様連れにもうれしい府民憩いの場になっています。鉄道ファンにはここでしか手に入らない市電グッズもあります。2019年には新しくJRの駅「梅小路京都西駅(うめこうじきょうとにしえき)」が近くに開業することが決まっています。
東寺周辺の地図
泉涌寺(せんにゅうじ)
1・JR京都駅からJR奈良線で「東福寺駅」下車して徒歩20分ほど
2・市バス208系統(泉涌寺・東福寺行き)で「泉涌寺道」下車して徒歩10分ほど
3・市バス南5系統(稲荷大社・竹田駅東口行き)で「東福寺道」下車して徒歩20分ほど
泉涌寺と塔頭寺院
泉涌寺へは電車・バスいずれの公共交通機関を使っても10分~20分ほど歩きます。東大路通りから泉涌寺道(坂道です)を南東方向へ上りきった先にありますが、その途中には見ごたえのある塔頭が左右にいくつもあります(非公開寺院もあります)。
泉涌寺道を上ってゆくとほどなく泉涌寺の総門が見えてきて、門のすぐ近くにあるのが即成院(そくじょういん)です。阿弥陀如来と二十五菩薩が極楽浄土を表す仏像群で、中尊は像高約5.5m・二十五菩薩もそれぞれ約1.5mの大きさで、さほど大きくないお堂には仏像がひしめき仏像のオーケストラと表現されます。また那須与一のお墓(大きな石塔)があることでも知られます(源平合戦の屋島の戦いで船上の扇の的を浜から見事に射落としたあの那須与一です)。境内には扇型の紙石鹸付きおみくじがガチャに入って授与されていて、願いを込めてその石鹸で手を洗うとご利益があるとされています。10月には毎年お練り供養なども行われています。
さらに進んでゆくと右手に法音院が見えてきます。珍しい写仏体験のできる寺院で、ご本尊・不空羂索観音像は写仏を体験すると本堂内陣から拝観させていただけます。
少し進むと左手に「釈迦如来」と書かれた看板が入口にある戒光寺(かいこうじ)があります。東宮時代の後水尾天皇の身代わりになられたと伝わる、丈六のお釈迦様(光背・台座を含めると約10mのとにかく大きな立像です)が、決して大きいとは言えないお堂いっぱいに安置されています。禁裏御陵衛士のお墓もあり、さまざまに条件がありますが墓参の申し込みを受け付けています。2023年に開創800年を迎え、現在大修理のための寄付を募っています。ご興味のある方は戒光寺公式サイトから詳細をご確認ください。
少し行くと右手に悲田院への入口の看板が見えてきます(要予約075-561-8781/悲田院へは今熊観音寺の先からもアクセスできます)。印相が逆の逆手の阿弥陀立像や快慶作と伝わる宝冠阿弥陀如来座像、土佐派や橋本関雪の襖絵などを所蔵しています。また境内からは京都市内を一望にでき、普段は参拝客もまばらなので絶景を独り占め!にできる穴場スポットです。
さらに進むと左手に新善光寺がありご本尊は長野の善光寺を模して造られたと伝わる阿弥陀如来像です。2018年に初めて本堂内部・大方丈の襖絵などが公開されました(基本は非公開の寺院です)。書院前には見事な紅枝垂桜があり、花の頃にはお庭を見せていただけるようです。
次にあるのが今熊野観音寺で、赤い鳥居橋を渡った先に境内があります。弘法大師が熊野権現の霊示を受けて草庵を結んだのがはじまりと伝わり、ご本尊は弘法大師作の十一面観音像と体内仏(秘仏・同じお姿の御前立像は公開されています)と伝わります。境内には西国三十三観音霊場の全てのご本尊が石仏として祀られる今熊野西国霊場があり、また毎年9月21日~23日には大講堂で四国八十八カ所お砂踏法要が行われます。88カ所のご本尊の掛け軸の前にそれぞれの霊場より取り寄せられたお砂が据えられ、それを踏んで参拝すると四国霊場を巡ったのと同じ功徳が積めるとされます。
北隣にあるのが来迎院です。大石内蔵助ゆかりの茶室があることで知られ、仇討ちの密議が行われたとも伝わります。現在の建物は再建されたものですが、内蔵助筆の「含翠」の扁額がかかります(菓子付き400円でお抹茶もいただけます)。日本初の三方荒神像や内蔵助の稔侍仏の将軍地蔵尊・運慶作と伝わる阿弥陀如来立像など所有していますが公開はされていません。
向かいにある善能寺は日本で初めて荼枳尼天(だきにてん)を祀ったといわれ、本堂は航空機事故の慰霊のため遺族によって建立され、重森三玲作庭の石庭「遊仙苑」が無料で公開されています。(こちらからは大門を通らず北の受付口から泉涌寺の仏堂付近へアクセスできます)
そしていよいよ大門から御寺泉涌寺へ。境内に至る幅の広い下り坂の左側に楊貴妃観音堂と宝物館があります。楊貴妃観音は美人祈願・良縁・縁結びのご利益があると人気です。皇室の菩提寺であることから御陵やお位牌などをお守りし(非公開)、また火災で焼失した際のお堂の再建には京都御所から建物が移されています。
大門をくぐらず駐車場をさらに進むと雲龍院があります。5つある書院には、障子の4つの窓から庭園の「椿・灯籠・紅葉・松」がそれぞれ見える蓮華の間、丸い悟りのある窓のある悟りの間などがあり、どの書院でも庭園を眺めながらお抹茶をいただけます。また大石内蔵助筆の「龍淵」の扁額もあります。
※以上は坂を上って行きながらの順番で塔頭寺院のご案内をしましたが、総門から時計回りにぐるりと塔頭寺院を参拝する「泉山七福神巡り」が毎年成人の日に行われています。塔頭にはそれぞれ福神(番外2カ所を含め9カ所)が祀られていて、まず福笹を購入してからそれぞれのお寺でお好きな吉兆の授与品(授与品によって値段はさまざまです)をいただき笹につけていきます。
総門脇の即成院から始めます。
1番福禄寿(即成院)→2番弁財天(戒光寺)→番外愛染明王(新善光寺)→3番恵比寿神(今熊野観音寺)→4番布袋尊(来迎院)→5番大黒天(雲龍院)→番外楊貴妃観音(泉涌寺)→6番毘沙門天(悲田院)→7番寿老人(法音院)です。この順番で巡ると総門から時計回りにぐるりと一周できます。この日泉涌寺は無料で境内が解放され、あずき粥・甘酒・昆布茶が振る舞われているお寺もあり(数量限定)、普段は静かな泉涌寺への坂道が福を求める方たちでにぎわいます。
秋には勤労感謝の日の頃の1週間ほどに「泉山七仙花めぐり」が同じお寺で開催されます。こちらはスタンプラリーで、全部のスタンプを集めると記念品がいただけます。
※泉涌寺の境内の西側には東福寺の境内が広がります。泉涌寺道を戻って東福寺駅方面まで行き、東福寺へと歩くとぐるっと回ってかなり歩くことになります。
実はこのお寺どうし、住宅街をぬけると歩いて10分ほどで行き来ができます。途中ちょっと分かりづらいですが、わざわざ大通りへ戻っていったり来たりしなくてよいので、両方を参拝される方は時間短縮になると思います。
東福寺からは上りになるので泉涌寺側から下るのがおススメです。悲田院の門手前で門へ続く道と左に行く道が分かれています。この左の道を行くと日吉ヶ丘高校学校の敷地周辺の坂道や階段を下り裏門へいたり、さらに住宅街を道なりに下っていけば東福寺の北側へ出ます。
もう一つは雲龍院からさらに南へ進んでゆくと、伏見稲荷大社まで京都一周トレイルの道がつながっているので、南に進んで陵墓を抜け小道を行くと日吉ヶ丘高校の裏門まえから続く道へとでますので道なりに下っていきます。(こちらのほうがわかりやすいかも)
※分かりづらい場合は大門などで受付の方に聞くと教えていただけると思いますが、途中わかりやすい案内板などはあまりありませんので(何度か歩いていますが、数年前の時点では小さな案内板しかありませんでした)、地図を確認のうえ自己責任で挑戦してくださいませ。
東福寺
東福寺と塔頭寺院
東福寺は紅葉の名所として有名ですが、こちらも魅力的な塔頭がいくつもあります。
毘沙門堂・勝林寺に祀られる等身大の毘沙門天像は、東福寺の仏殿の天井裏に密かに安置されていた仏さまですが、現在は東福寺全体を守護する為に鬼門にあたる勝林寺に安置されています。財運・勝運・厄除けに御利益があるとされ、正月と春・秋の期間限定で公開されています。
同聚院は藤原道長が五大明王を安置するために法性寺境内に建立した五大堂の遺蹟と伝わります。座高265㎝・日本で一番大きな木造の不動明王座像が祀られ、十万不動と呼ばれています。今はお不動さまのみ残りますが、この大きさの五大明王が祀られていたのかと思うとゾクゾクします。
霊雲院は幕末に西郷隆盛が密議を行ったお寺で、遺愛石を置いた九山八海の庭(くせんはっかい・仏教の世界観を表した庭)と、臥雲の庭の2つの枯山水の庭は重森三玲(しげもりみれい・モダンな庭で知られます)作庭です。
臥雲橋は東福寺三名橋の一つで、紅葉に浮かぶ通天橋が良く見える絶景スポットで、地元の方の生活道路でもあることから、止まって撮影することが禁止されるほどにぎわいます。
芬陀院(ふんだいん)は雪舟作と伝わる枯山水の「鶴亀の庭」があることから雪舟寺とも呼ばれ、苔の美しいお寺としても知られます。
※東福寺南側の六波羅門から京阪電車「鳥羽街道駅」へは徒歩7~8分ほどです。
京阪電車で淀屋橋・中之島方面行きにのれば次の駅が伏見稲荷駅で、千本鳥居の伏見稲荷大社へは徒歩5分ほどです。さらに伏見桃山駅からは寺田屋や伏見の酒蔵などへ。中書島で宇治線に乗り換えれば終点の宇治駅から平等院鳳凰堂へ行くことができます。
出町柳方面行きにのれば、清水寺・八坂神社など東山の観光地や、下鴨神社・比叡山・大原・貴船・鞍馬方面へも行けます。