第54回京都非公開文化財特別公開(2018)の会場へのアクセス方法です
JR京都駅から各会場へのアクセス
ここでは18カ所のうち妙法院・東寺(講堂・五重塔)へJR京都駅からのアクセス方法と周辺の観光名所を紹介していきます。
妙法院へのアクセス
1・市バス106系統・110系統・100系統・206系統・208系統(清水寺や博物館・三十三間堂行きに乗車)で「東山七条」下車して徒歩3分ほど
2・京都バス18系統で「東山七条」下車して徒歩3分ほど
周辺の観光名所
名所といえばなんといっても妙法院の境外仏堂・蓮華王院三十三間堂です。2018年に45年に及ぶ1001体の千手観音菩薩立像の修復が終わり重文指定が昇格になり、ご本尊と風神雷神・二十八部衆を含む堂内全ての仏像が国宝に指定になりました。いつお参りさせていただいてもお堂内では壮観以外の言葉が見つかりません。三十三間堂は後白河上皇が院政を行った法住寺殿内に、平清盛の寄進によって建てられた仏堂です。
2018年は国宝に指定されたことを記念して、四半世紀ぶりに寄託されている5体の千手観音さまも里帰りし、1001体がすべて堂内にそろいます。さらに10月3日~11月26日までは1.2mの高さの特設台が設置され、いつもは見ることのできない角度から拝観することができます(11月30日までは1001体がそろっています)(このイベントは終了しています)
東側には後白河院の廟・法住寺陵(ほうじゅうじみささぎ)があり、法住寺では木像をお祀りし、法要や今様歌合わせが行われています(サザエさんの作者長谷川町子さんの菩提寺としても知られます)。
隣にある養源院は淀殿が父浅井長政供養のために創建し、お江の方が伏見城の遺構を移築し再建したもので、自刃した鳥居元忠らの血の残る血天井が有名です。
法住寺殿の鎮守社として建てられた新日吉神宮(いまひえじんぐう)には、猿が神使とされることから阿吽の狛猿やさるのお守りなどがあります。
秀吉ゆかりの遺構や神社も数多くあります。今回公開される妙法院の庫裏は豊臣秀吉が方広寺大仏殿の千僧供養を行った際、出仕した千人の僧の食事を準備するために建てた物と伝わり国宝です。
方広寺は奈良の大仏さまが焼き討ちにあった際、代わりに京に大仏をと秀吉が発願し、大仏さまを安置するために創建されたお寺で、大仏さまは天災や火災で残ってはいませんが、大仏殿跡は緑地公園になっていて境内を仕切っていた石塁が残ります。また豊臣家滅亡の引き金になったとされる国家安康の梵鐘も残ります。
秀吉を祀る豊国神社は大仏殿跡の敷地に明治に再建されたものです。三十三間堂の南側に残る南大門と築地塀(太閤塀)は秀吉が築いたもので当時は方広寺の南限でした。
智積院は秀吉と対立して全山焼き討ちにあった根来寺(和歌山県)を、秀吉の死後に建てられた豊国神社と3歳で死去した棄丸の菩提寺・祥雲寺の敷地を徳川家から与えられ再興したものです。国宝に指定されている長谷川等伯一門による障壁画は、祥雲寺の客殿を飾ったものでした。智積院東にある阿弥陀ヶ峰の中腹・約500段の階段を上った先に豊国廟があり秀吉が眠っています。
他にも京都国立博物館があり、館内には便利堂・前田珈琲・ハイアットリージェンシーの直営ショップやカフェ、レストランがあり、京博限定のお土産やカフェメニューなどが楽しめます。
東寺へのアクセス
1・近鉄京都線で「東寺駅」下車して徒歩8分ほど(南大門まで)
2・市バス205系統(九条車庫行き)で「東寺道」下車して徒歩5分ほど(東門まで)
3・市バス42系統で「東寺東門前」下車すぐ(一時間に一本)
他にも78系統・19系統・八条口から16系統などもありますが、遠回りしてのアクセスだったり本数が少なかったりします。
京都駅八条口からは徒歩15分ほどです。
メモ
東寺は東西南北どちらにも入口がありますが、拝観受付は講堂の北側になります。東門(交番脇の慶賀門)から入って左手に五重塔をみながら受付口まで行くと、途中で枝垂桜(不二桜)や五重塔・講堂・金堂が一堂に見渡せます。
講堂は弘法大師空海が密教の教えを立体的に再現したもので、二十一体の仏像群が堂内にひしめきいつ訪れても身の引き締まるおもいがします。イケメンと話題の帝釈天像はここに安置されています。
講堂の方が話題になりがちですが金堂が東寺の本堂で、ご本尊はお薬師さま・足元には十二神将が控えています。
五重塔は日本で一番高い木造建造物で、今回公開される初層は通常は非公開です。
春と秋に公開される宝物館には、かつて羅城門に祀られていた兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)立像、食堂のご本尊だった約6メートルの高さのある千手観音立像(千本の手のあるお像です)、西寺にあったと伝わわる地蔵菩薩像などのほか、毎回さまざまなテーマに沿った特別展が開催されます。
観智院は北門から境内を出てすぐ右手にあります(以前は特別公開のみでしたが、通年で公開されるようになりました。)
東寺御影堂(大師堂)では四国八十八ケ所お遍路巡り出発のご挨拶をするのが習わしで(終了は高野山奥の院で行います)、食堂ではお遍路さんグッズなどが沢山販売されるほか、毎月21日にはお堂の周りに八十八か所を再現したお砂ふみが行われています。
周辺の観光名所
九条通りを西へ行くと矢取地蔵寺(やとりじぞうじ)があります。伝説によると淳和天皇の御代に日照りが続き、天皇の命により東寺の空海と西寺の守敏による雨乞いが行われました。雨を降らせることのできた空海を逆恨みした守敏が、羅城門近くで待ち伏せし空海に向けて矢を放つも、黒衣の僧が現れて代わりに矢を受け難を逃れたといいます。その黒衣の僧は実はお地蔵様で、後に矢取地蔵・矢負地蔵と呼ばれ信仰されたと伝わり、現在のお堂は明治に地元の方々が寄進したものです。
矢取地蔵寺北側の小さな公園内に羅城門跡の石碑が残ります。羅城門はかつての平安京の正門で、朱雀大路の南端にありました。東寺に残る兜跋毘沙門天像(とばつびしゃもんてん)や三彩釉鬼瓦(三彩釉・さんさいゆうとは焼き物に使われるうわぐすりの一種で、焼くとガラス状になります)は、羅城門にあったものと伝わります。
さらに九条通りを西へ進み七本松通りを北へ行くと小学校の裏に西寺跡の公園があります。東寺と並ぶ官寺として同じ規模の寺域を誇る大寺院でしたが、数度の火災の後に廃寺となり、現在は講堂跡に後世に造られた土塁と石碑が残るのみです。
公園の北側にある鎌達稲荷(けんたついなり)神社は、勝負運・災難除け・弾除けなど、奇跡を生むご利益があるとされ、サムハラ守りは人気があります。サムハラは漢字のような四文字の神字で文字自体にご利益があるとされ、加藤清正が朝鮮出兵の時に刀に刻んで無事帰ることができたといわれ、戦時中には弾除けの御守として千人針や衣服に記されたそうです。
東寺から北へ行くと清和源氏発祥の地といわれる六孫王(ろくそんのう)神社があり、中央にかかる太鼓橋は恋の架け橋と呼ばれ、縁結びのご利益があるとされています。桜の季節には黄緑色のウコン桜が咲き、隠れたお花見スポットになっています。
さらに北ある梅小路公園には京都鉄道博物館や京都水族館などのほか、軽食カフェやレストランなどもありお子様連れにもうれしい府民憩い場になっています。鉄道ファンにはここでしか手に入らない市電グッズもあります。
追記:2019年には梅小路京都西駅が開業しこの方面へのアクセスが良くなりました。