金戒光明寺お薦め仏像・仏画
渡海文殊菩薩像と山越阿弥陀画
◆金戒光明寺(くろ谷さん)JR京都駅からアクセス
1・市バス5系統(銀閣寺・岩倉行き)で「東天王町」下車徒歩15分ほど
(岡崎神社の西脇を抜けるともう少し早く着きます)
2・市バス100系統(清水寺・銀閣寺行き)で「岡崎道」下車して徒歩10分ほど
拝観時間・拝観料など
日時 | 時間 | 拝観料など |
通年 | 9:00~16:00受付終了 | 境内無料 |
秋の特別公開 11月~12月 |
9:00~16:30(16:00受付終了) |
(期間は毎年異なります) 御影堂・大方丈・庭園大人800円/小学生400円 |
紅葉のライトアップと夜間特別拝観 11月~12月 |
17:30~21:00(20:30受付終了) |
(期間は上記の特別展期間と同じ) 御影堂・大方丈・庭園のみ、大人800円小学生400円 |
◆金戒光明寺(くろ谷さん)簡易歴史解説
法然上人が比叡山の黒谷を下り草庵を結んだ地で浄土宗最初の寺院です。
比叡山の地を元黒谷、この地を新黒谷と呼んでいましたが 後にそのまま黒谷と呼ばれるようになりました。
◆金戒光明寺(くろ谷さん)仏像みどころ
比叡山を下りられこの地の山頂の石の上で念仏を唱えると 紫雲が立ち上り光明が辺りを照らしたとされることから 紫雲山光明寺と号していましたが、のちに後光厳天皇より金戒の二字を賜り金戒光明寺となりました。
山門には御小松天皇による「浄土真宗最初門」の勅額が掲げられ 法然上人二十五霊場の第24番霊場で、浄土宗七大本山の一つです。
幕末に京都守護職に就いた松平容保が本陣を置いたお寺として知られ 境内には会津藩士と「会津小鉄」のお墓があります。
会津小鉄は賊軍となってしまった藩士の遺体を集めて供養したと伝わり 塔頭寺院の西雲院では今でも追悼法要が行われています。
近藤・芹沢両氏が容保に拝謁がかなったのがこの地で 後に「新撰組(新選組)」の名を拝名しました。
阿弥陀堂はこのお寺で一番古い建物で、本尊の阿弥陀如来は 恵心僧都最後の作と伝わり「おとめの如来」「ノミおさめ如来」と呼ばれています。
天井には雲竜図が描かれています。
御影堂に祀られている文殊菩薩と脇侍は運慶作と伝わり 本来は三重塔のご本尊でしたが法然上人800年遠忌の際遷座されました。
「渡海文殊」像で優填王(うてんおう)・仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう) 最勝老人・善哉童子を従え江戸期の文献では本朝三文殊の一つとされ 古くより信仰されてきました。 (現在は日本三文殊は奈良の安倍の文殊・京都天橋立の切戸の文殊・山形の亀岡の文殊とされています。)
安倍文殊の像に比べれば少し小ぶりですが この仏さまをはじめて拝ませていただいたときには正直その迫力に驚きました。
学業成就の神様として合格祈願に訪れる方も絶えません。
また「吉備観音」と呼ばれる千手観音も祀られています。
吉備真備が唐より帰国する際に難破しそうになり 南無観世音菩薩と唱えたところ難を逃れることができ、 唐より持ち帰った香木で行基に観音様を彫ってもらったのがこの像と伝わります。
古くより皇室から厚く信仰され、安産守護の本尊として祀られてきました。
また吉備真備が2度も唐に渡り無事帰国したことから 江戸時代には道中安全・諸願成就のご利益があるとして信仰されました。
振り返るとそこには山越阿弥陀(やまごしあみだ)様が祀られていて 五色の糸で結ばれた撞木で鐘をたたくと阿弥陀様との縁が結ばれると書かれています。
禅林寺(永観堂)本と共に金戒光明寺本と言われる鎌倉末期の秀逸品です。
御影堂にお参りされた際は文殊様や観音様にばかり目を奪われていないで 振り返って見てください。
でも・・・阿弥陀様と5色のひもって・・・臨終のお迎えの時にじゃなかったかな・・・
京都市内を一望にできる山門には中央に宝冠釈迦如来・脇侍に普賢・文殊菩薩 そして十六羅漢が安置され、天井には蟠龍図が描かれています。
美しい庭園と共に秋には特別公開されています。
境内には徳川秀忠の菩提を弔うために建立された三重塔や塔につながる階段途中(階段を10段ほど登ったところ)には、アフロ仏として知られる五劫思惟阿弥陀像などもあり(お寺のお土産にこの仏様をイメージしたカラフルな金平糖が売られています) みどころの多いお寺です。
幕末の息吹を感じながらお参りされてはいかがでしょうか?