私小説のコーナーは好き勝手なオモイを書かせて頂いています♪
それでも公に触れるインターネットですから、誰かを傷つける事が無いと祈りたい・・・
お地蔵さんが大好きです。何で好きになったかも覚えていません。
30年以上も前の話だし、ガキでしたから。
その当時、仏像や仏教、お寺、京都奈良、全て興味ありませんでした。
敢えてカッコヨク言うなら、14,5才の年齢でガキなりに何かを迷う年頃で、自分でも知らぬ内、気付かぬ内・・・ って感じでしょうか。
ですから仏教徒の方や、一心不乱に地蔵菩薩を拝む方には申し訳ありませんが、 私個人にとっては「おじぞうさん」です。
それは自分が大人になり、知識を得ても変わりません。
いや、かえって重くなりました。
「やっぱ、おじぞうさんはスゲェな」と。
奈良県福智院のサイトに掲載されている詩です
釈迦はすぎ 弥勒はいまだ 出ぬ間の かかる憂き世に 目あかしめ地蔵
福智院サイト
京都奈良の旅~福智院記事~
お釈迦さまが去り、どうにもならん末法の世が訪れ、でもいずれ弥勒さまが如来となって・・・ 56億4000万年後???でしたっけ?
仏教、仏典、大乗上座、密教、末法、弥勒信仰・・極楽、浄土、地獄・・
えらいこっちゃですよ、
ちょっとかじればカジルほど、どの知識を得ても
「この世は終わってる」て答えです。
でも、おじぞうさんは変わらない。
「そうですか、弥勒さんが降りてくるまでこの世は真っ暗ですか、じゃあ私が頑張ってみますよ。
お釈迦様にも弥勒如来にもなれませんが、出来る事をやってみますよ。」
「六道には救いが無い?特に地獄には?・・んー確かにね。
如来さまやエンマさまに、まさかの間違いは無いでしょうが、
救いが無いで終わりじゃ切ないんで、寄り添ってみますよ。」
「なるほど先に死んだら親不孝、そんな子供達は賽の河原ですか。
ごもっともですけど、子供本人がそれを選んだとは限らない、
ただ鬼達にイジメられてるんじゃ可哀想だから、ちょっと行ってきますよ」
「虚空蔵菩薩さんね、比べられたらかないませんよ、何しろ空ですから。
こうに言っちゃあ失礼ですけど、既に超能力じゃないですか。
それはそれ、私に出来る事を地道にやっていきますよ、地ですからね。」
「あー結構、道ばたとかに私は普通に居ますよ。
崩れちゃったり、昔は熱心に拝まれたけど今は素通りとかね。
仕方ないでしょ、誰だって今を生きてるんだからバチなんてあてませんよ」
「如来さまになれたのに、自分で六道を巡るって決めちゃってマズカッタですかね。
これじゃあ逆に、如来になれなくなっちゃいますかね?
でも、この世もそこまで腐ってないと思いますよ・・・そう思います。
私もまだまだ、修行って事なんですかね。」
何を知っても調べても、おじぞうさんはおじぞうさん。
おじぞうさんは強くてカッコイイ。
あ~・・・これ自体が煩悩なんですかね(笑)
釈迦はすぎ 弥勒はいまだ 出ぬ間の かかる憂き世に 目あかしの地蔵
おじぞうさんには何処でも会えます♪