ねねの道を八坂神社方面に歩いていくと、祇園祭の山鉾を模した大きな建物が現れます。
大雲院は銅閣寺とも呼ばれ、正親町(おおぎまち)天皇の勅命によって、織田信長・信忠親子の菩提を弔うために 二条御池御所跡に貞安上人によって創建された浄土宗の寺院で、数回の移転の後、現在の地に落ち着いています。
境内には石川五右衛門の墓や明治の廃仏毀釈によって八坂神社から梵鐘・北野天満宮からは鐘楼がうつされています。
鉾を模した建物は祇園閣と呼ばれ、昭和初期に建てられた大倉財閥創始者・大倉喜八郎の別邸の一部で、国の登録有形文化財です。
大雲院みどころ
通常は非公開ですが、京の夏の旅などで特別公開されることもあります。
ここではJR京都駅からのアクセス方法や周辺の地図などを紹介していきます。
大雲院へのJR京都駅からのアクセス&周辺の観光名所
1・市バス206系統「東山安井」で下車徒歩5分ほど
2・市バス100系統・106系統・110系統でいずれも「祇園」で下車して徒歩7分ほど
(2・の市バスで1つ手前の「清水道」で下車して、清水寺~三年坂~二年坂~ねねの道とたどれば東山散策の黄金コースです。)
周辺の観光名所
大雲院のある東山は徒歩圏内に観光名所が盛りだくさんです。
北へ行けば長楽館、円山公園、知恩院、青蓮院門跡などがあります。
ねねの道を南へ行けば、高台寺・石塀小路・幕末好きには霊山歴史館に龍馬のお墓のある霊山護国神社、御陵衛士の屯所(月真院・非公開)・不定期で公開されている八坂の塔(法観寺)・インスタグラムでカラフルなくくり猿が人気の八坂庚申堂・二年坂・三年坂から清水寺へ。
東山安井のバス停から西側には、縁切り縁結び碑で有名な安井金毘羅宮・冥府へつながる井戸のある六道珍皇寺・空也上人の像で有名な六波羅蜜寺・京都最古の禅寺といわれ法堂天井に双龍図のある建仁寺があります。
道々には飲食店や土産物店などが沢山あっていつでも観光客であふれています。
信長親子の菩提を弔う寺院に石川五右衛門の墓が
正親町(おおぎまち)天皇の勅命によって、本能寺の変で無念の死を遂げた織田信長と二条新御所で自刃した信忠親子の菩提を弔うために 貞安上人(じょうあんしょうにん)を開基として二条新御所跡に創建されました。
豊臣秀吉の命により四条寺町に移転後は度々火災に遭い明治初期に再建されましたが、周辺の開発などにより1972年すでに祇園閣のあった現在の地に移りました。
境内には明治の廃仏毀釈の際に八坂神社から梵鐘・北野天満宮からは鐘楼が移され残されています。
また石川五右衛門の墓があり、これは処刑前の市中引き回しの際に、 大雲院の前(当時は四条寺町にあった)で、貞安上人に引導を渡されたことによると伝わります。墓石はご利益があるとされたことからところどころ削られています。稀代の大泥棒だった五右衛門を反面教師として、お守りにすると手癖の悪いのが治るというもの、賭け事が強くなるというもの、数々の修羅場をくぐりぬけた度胸を頼みに、病気の子供の完治を願って母親が削ったというもの等、数々の伝説に彩られた五右衛門にあやかろうとさまざまな理由で削られたようです。
東山散策中に突如現れる巨大な山鉾
鉾を模した建物は昭和初期に 大倉財閥創始者・大倉喜八郎が私財を投じて、 平安神宮・橿原神宮・豊国廟・築地本願寺などを手がけた奇想の建築家といわれる伊東忠太の設計により建てられたもので、祇園閣と呼ばれ国の登録有形文化財になっています。
金閣・銀閣・に次ぐ銅閣寺を建てたいということで銅葺き屋根になったとか、一年中祇園祭の鉾をみられるようにこのような形になったとか建設にはいろいろな逸話が残っているようです。
1988年には開創400年を記念して敦煌(とんこう)の莫高窟壁画(ばっこうくつへきが)の模写が奉納され、他にも観無量寿経変想図・釈迦説法図・千手観音図などが所狭しと描かれています。
楼上からは東山が一望でき、素晴らしい景色が広がります。普段は非公開ですが京の夏の旅などで特別公開されることもあるので、スケジュールが合えば東山散策の途中で立ち寄ってみるのも良いかもです。