平安時代中期に源為光が夫人と息女の菩提を弔うために創建したのがはじまりのお寺です。
また後白河法皇が院の御所を造営された地でもあり、隣には後白河院の廟・法住寺陵(ほうじゅうじのみささぎ)があります。
法住寺みどころとアクセス
後白河法皇が院政を行った「法住寺殿」が営まれた地で、往時は広大な敷地を誇り敷地内に三つの御所がいとなまれていたと伝わります。
隣にある三十三間堂は御所の敷地内に平清盛の寄進によって建立されたもので、敷地内には 新熊野神社や新日吉神社も建立されていました。
木曽義仲に焼き討ちされ数年後に法皇は別の地で崩御されましたがこの地に埋葬され、江戸期まではその御陵を守るお寺として続き、明治の神仏分離令によって御陵とお寺は切り離され現在に至ります。
赤穂四十七士木造と身代わり不動
ご本尊は慈覚大師円仁によって造立された不動明王で「身代わり不動」と呼ばれています。
木曽義仲が御所に攻め入った際、危うく命を落とすところだった法皇の身代わりとなって、時の天台座主だった明雲大僧正が敵の矢に倒れました。この時のことを法皇は「お不動様が明雲となって自分を助けてくれた」と涙された、という逸話が残ることからそのように呼ばれるようになったと伝わります。
大石内蔵助が山科に隠棲していた時には、遊郭へ通う途中にこのお不動様に祈願をし 後に大願成就したことがよく知られています。毎年11月15日に行われる不動大祭では大護摩供が修され多くの信者の方が訪れます。
他にも後白河法皇の木造、赤穂浪士四十七士の木造、親鸞聖人が造られたと伝わる阿弥陀如来立像、 親鸞聖人そば食い座像などもあります。法皇が愛したといわれる「今様合せ」(歌合わせ)など 年間を通して様々な行事が行われています。
サザエさんの作者長谷川町子さんの菩提寺としても知られています。
年間を通して行事も多く、行事ごとの限定御朱印が数多くあるお寺ですので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょう。
拝観時間と料金
毎月10・20・30日は終日閉門です。
9:00~16:00、通常拝観料500円
(お寺の方の案内による拝観になりますので20分~30分ほどかかります)
また行事によって時間や料金が異なりますので詳しいことは下の表をご参照ください。
★お写経と写仏と精進料理
9:00~15:00 所領時間1時間半程度(1~40名)
※精進料理は現在中止
★毎月28日
お不動様の縁日 護摩が厳修されます。
1月28日は初不動縁日をして、力こんにゃく・力持ちのご供養があります。
★1月15日に近い日曜日
無病息災大根炊き
不動明王に祈願した大根炊きが振る舞われます
★節分会(節分の日)
鬼法楽・豆まき、開運厄除けの星まつり・採灯大護摩供(ほしくさいとうごまく)が厳修されます。開運厄除札・福豆の授与あります。
★つり雛展
2月28日~3月3日頃
つり雛(住職のご親族お手製)のほか段飾りの雛人形・洋人形などが所狭しと飾られます。
★涅槃会
3月15日 護摩供法要が行われます。
14日~16日に松村景文(江戸期の絵師)の大涅槃図が掲げられます。
★降誕会(花祭り)
4月1日~8日 本堂にお釈迦様の誕生仏が祀られ、甘茶をかけて参拝します。
★身代わり不動尊 春の大祭
4月28日
10:00~/14:00~護摩供法要の後、内々陣で間近にお不動様を参拝できます。
★法皇忌・後白河法皇像 特別開帳
5月3日 法皇忌法要
5月1日~7日 期間中は今様歌が響きわたる境内にて、後白河法皇像が特別開帳されます。
★今様合の会
10月第2日曜日
阿弥陀堂にて今様歌合せが行われます。当日は後白河法皇像が特別開帳されます。
★身代不動尊大祭・採燈大護摩供
11月15日
和太鼓や琴・ご詠歌などの奉納/御廟への特別参拝・山伏問答・鬼法楽・お稚児さんの行列んなどが行われ、
奉納された護摩木数万本がお焚き上げされます。
★義士会法要
12月14日
赤穂四十七義士木像の前で法要ののち、献茶式が行われます。またお茶席も設けられ、討ち入りそばのご供養もあります。
★納め不動
12月28日
護摩が厳修されます。
御祈祷を申し込むと特別に内陣で護摩祈祷が受けられます。
※こちらのお寺は行事内容を詳しくお知らせコーナーで紹介されています(行事によっては写真入りです)。
行事ごとの限定御朱印も授与されていますので、興味のある方は法住寺公式サイトもご覧ください。
JR京都駅からのアクセスと周辺の観光名所
・市バス206系統(三十三間堂 清水寺 祇園・北大路バスターミナル行き)で「博物館三十三間堂前」下車して徒歩5分ほど
・市バス208系統(博物館 三十三間堂 泉涌寺・東福寺行き)で「博物館三十三間堂前」下車して徒歩5分ほど
※三十三間堂の東隣です
周辺の観光名所
名所といえばなんといっても妙法院の境外仏堂・蓮華王院三十三間堂です。2018年に45年に及ぶ1001体の千手観音菩薩立像の修復が終わり重文指定が昇格になり、ご本尊と風神雷神・二十八部衆を含む堂内全ての仏像が国宝に指定されました。いつお参りさせていただいてもお堂内では壮観以外の言葉が見つかりません。三十三間堂は後白河上皇が院政を行った法住寺殿内に、平清盛の寄進によって建てられた仏堂です。
隣にある養源院は淀殿が父浅井長政供養のために創建し、お江の方が伏見城の遺構を移築し再建したもので、自刃した鳥居元忠らの血の残る血天井が有名です。
法住寺殿の鎮守社として建てられた新日吉神宮(いまひえじんぐう)には、猿が神使とされることから阿吽の狛猿やさるのお守りなどがあります。
秀吉ゆかりの遺構や神社も数多くあります。妙法院の庫裏は豊臣秀吉が方広寺大仏殿の千僧供養を行った際、出仕した千人の僧の食事を準備するために建てた物と伝わり国宝です。
方広寺は奈良の大仏さまが焼き討ちにあった際、代わりに京に大仏をと秀吉が発願し、大仏さまを安置するために創建されたお寺で、大仏さまは天災や火災で残ってはいませんが、大仏殿跡は緑地公園になっていて境内を仕切っていた石塁が残ります。また豊臣家滅亡の引き金になったとされる国家安康の梵鐘も残ります。秀吉を祀る豊国神社は大仏殿跡の敷地に明治に再建されたものです。三十三間堂の南側に残る南大門と築地塀(太閤塀)は秀吉が築いたもので当時は方広寺の南限でした。
智積院は秀吉と対立して全山焼き討ちにあった根来寺(和歌山県)を、秀吉の死後に建てられた豊国神社と3歳で死去した棄丸の菩提寺・祥雲寺の敷地を徳川家から与えられ再興したものです。国宝に指定されている長谷川等伯一門による障壁画は、祥雲寺の客殿を飾ったものでした。智積院東にある阿弥陀ヶ峰の中腹・約500段の階段を上った先に豊国廟があり秀吉が眠っています。
京都国立博物館にも近く、館内には便利堂・前田珈琲の出店もあり・京博限定のお土産やカフェメニューなどが楽しめます。