奈良といえば大仏様。お堂も大きいのですが、お堂に入ってからの方が大仏様の大きさに圧倒されます。
数度の兵火や災害を乗り越えられ、何度も再建されたお堂は創建当初より小さくなったとはいえあの迫力です。
創建時には当時の国の人口の約半分にあたる延べ人数の方々によって建てられたともいわれています。
見どころ満載でゆっくり回れば1日では足りないほどです。
東大寺みどころ
728年に聖武天皇が夭折した基親王(もといしんのう)のために建立した金鍾山寺(きんしょうさんじ)に、良弁僧正をはじめ9人の僧を住持させたことにはじまります。
741年には国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられ、これに伴って金鍾山寺が大和の国分寺として「大和金光明寺」に昇格し、東大寺の前身となりました。
大仏の造立は747年から始まり開眼会が行われたのが752年、さらに大仏殿が竣工されたのが758年、鋳造の詔が発せられてから15年もの時が必要でした。
数々の兵火や災害によって大仏殿も大仏も何度も再建され、当初のものよりも規模は小さくなっていますが、木造建築物としては世界最大級を誇る国宝で現在に至ります。
◆大仏殿、四聖(良弁・聖武天皇・行基・菩提僊那)により建立
正式名称を「金光明四天王護国寺」と言います。
聖武天皇は短い期間に恭仁京・難波宮・紫香楽宮へと都を移していて 大仏の造立も紫香楽宮で始まったといわれています。
再び平城京に戻ってから改めて大仏の造立がはじまり、この大事業には民衆の協力が必要であったことから、朝廷からは弾圧されていたもの民衆の支持を集めていた行基が大僧正として迎えられ、各地で勧進(寄付によって寺院の建立や修繕などを行う)を行いました。
渡来僧である菩提僊那(ぼだいせんな)により開眼供養が行われ、東大寺では良弁・聖武天皇・行基・菩提僊那を「四聖」と呼んでいます。
その後も整備が続き七重塔をはじめ一通りの伽藍が完成するまで、40年近くかかったといわれます。
八宗兼学の道場で学僧が多く集まるお寺でしたが、完成後は天災や火災によって堂塔の倒壊や焼失が相次ぎ、平家による南都焼き討ちでも多くの伽藍を失いました。
※なお八宗とは仏教の宗派で、倶舎宗(くしゃしゅう)・成実宗(じょうじつしゅう)・律宗(りつしゅう)・法相宗(ほっそうしゅう)・三論宗(さんろんしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)・天台宗(てんだいしゅう)・真言宗(しんごんしゅう)で、南都六宗と呼ばれた6つの宗派と平安時代にできた天台・真言宗を合わせたもので、現在は残っていない宗派もあります。
焼失、再建を繰り返す金光明四天王護国寺
再建のために力を尽くしたのが大勧進に任命された重源で、源頼朝の援助も受け後白河法皇によって大仏開眼供養が行われました。
この際建てられた南大門には運慶・快慶一門による仁王像が造立され 現在もお寺の入口でにらみを利かせています。
復興は着々と進んだものの、戦国時代に起こった三好・吉永の乱による兵火で 二月堂・法華堂(三月堂)・正倉院・西大門・転害門・などを残し すべて灰塵に帰してしまいました。
江戸時代に行われた公慶上人の勧進による再建まで、 大仏さまはおよそ120年もの間雨ざらしになりました。
大仏殿は天平時代と比べ高さ・奥行きはそのままに 間口はおよそ3分の2に縮小されてはいるものの、 世界最大級の木造建築として今に伝わります。
東大寺の仏像を巡る
八角灯籠(奈良時代)と本尊廬舎那仏(写真撮影可)
東大寺は数々の兵火や天災に見舞われているにもかかわらず 国宝・重要文化財の宝庫です。
中門から大仏殿までの間にある大きな八角灯籠は奈良時代の貴重なものです。
そしてご本尊廬舎那仏(るしゃなぶつ)、像高約15mもあるお像で何度訪れてもその大きさに圧倒されます。
台座には仏さまの姿がびっしりと線刻されています。
さらに脇を固める如意輪・虚空蔵両菩薩も7mを越えます。
裏に回れば広目天と多聞天。これもまた大きな像で、何もかもが桁違いのスケールです。
大仏のほぼ真裏には当時の建物が再現された模型が展示されていて、少し進むと穴の開いた柱の前には行列ができています。
この穴は大仏さまの鼻の穴と同じ大きさで、くぐると無病息災のご利益があるとされ、いつでも観光客や修学旅行の学生でにぎわっています。 (ちょっと恥ずかしいのでまだ挑戦できていません)
秘仏執金剛神は12月16日ご開帳
大仏殿東側の若草山山麓へは緩やかな(でもないかな・・・)坂が続き 二月堂・法華堂(三月堂)・開山堂・三昧堂(四月堂)などあります。
法華堂は東大寺の前身である金鍾山寺の遺構とされ 豪華に装飾された不空羂索観音を本尊とし梵天・帝釈天・四天王 仁王像がずらりと並ぶ堂内は荘厳な空間が広がります。
厨子に収まる執金剛神のみ年に一度12月16日に公開されます(良弁の命日)。
以前は日光・月光・地蔵菩薩、弁財天・吉祥天・不動明王も祀られていましたが、現在は三昧堂のご本尊千手観音と共に東大寺ミュージアムに安置されています。
二月堂 絶対秘仏十一面観音
二月堂で毎年3月に行われるお水取りは早春の風物詩です。
正確には修二会と呼ばれる法会が旧暦の2月に行われることからこの名がついています。
奈良時代から続き一度も途切れたことのない行事で、江戸時代に行われたお水取りでは失火によってお堂が焼失してしまい、その後再建されたものが現在に伝わります。
長さ6mほどの根付きの竹に杉の葉などをつけて作られた松明に灯がともされ、欄干から降り注ぐ火の粉を浴びると無病息災のご利益があるとされ、特に12日には多くの方が訪れ大変なにぎわいです。
実は1日~14日までの間毎日お松明は行われていますが、12日がどうしてもクローズアップされているので、訪れる人が多く当日は交通規制が行われます。
二月堂の奥にある休憩所には、この時使われた松明が展示され本当に大きなもので、これを人力だけで持ち上げ掲げているのはにわかには信じられないほどです。この竹で作られた数珠ブレスレットの授与もあります。
このお堂の本尊は大小の十一面観音とされていますが、お寺の方さえ見ることができない絶対秘仏です。
東大寺勧進所(10月5日ご開帳)と戒壇堂
大仏殿西側には勧進所や戒壇院戒壇堂があります。
聖武天皇・光明皇后が鑑真より戒を授かった翌年に日本初の正式な受戒の場として戒壇院が建立され、 戒壇堂・講堂・僧坊などがありましたが火災によって焼失してしまい戒壇堂と千手堂のみが再建されています。
堂内には須弥壇を守護する四天王が祀られますが 愁いを帯びた表情の広目天は切手になるほど有名です。
ピンと張り詰めた空気が心地よいそんな空間がそこにはあります。
勧進所は江戸時代に勧進を行った公慶上人が拠点とした場所で 10月5日に転害会の法要後、僧形八幡神・公慶上人像・五刧思惟阿弥陀像が公開されます。
東大寺ミュージアムの仏像達
南大門近くにあるミュージアムに移された千手観音は平安時代の作でどっしりと重厚感のある像です。
色彩の残る持国天・多聞天、法華堂の日光月光菩薩と共に安置され また境内から発掘された鎮檀具や伎楽面なども展示されています。
特別展示ではさらに貴重な寺宝が公開されます。
広い境内にはほかにも「奈良太郎」との愛称が付き日本三大梵鐘(京都の知恩院・方広寺の梵鐘)に数えられる、26.3トンもの巨大な梵鐘(国宝)がつられる鐘楼、
二月堂から裏参道を下ってくれば石畳の道と土壁が続く風情ある小道、通常公開はされていませんが俊乗堂・行基堂・大湯屋・念仏堂などの趣あるお堂の数々、正倉院まで続く道沿いにある大仏池、少し離れていますが戦災をくぐりぬけ天平時代の創建当初の姿を残す転害門などなど・・・
みどころは沢山あり、大仏様だけ見て帰るなんて実にもったいない!ゆっくり時間をかけて見て廻りたいお寺です。
あちこちにいる鹿と戯れながらのんびり過ごすのも良いものです。
近鉄奈良駅からアクセス
近鉄奈良駅から徒歩20分ほど
または近鉄奈良駅・JR奈良駅から
市内循環バス外回り「東大寺大仏殿・春日大社前」下車徒歩10分ほど
拝観時間
大仏殿
4月~10月7:30~17:30
11月~3月8:00~17:00
法華堂(三月堂)・戒壇院戒壇堂
8:30~16:00
東大寺ミュージアム
4月~10月9:30~17:30 (閉館30分前に入館)
11月~3月9:30~17:00(閉館30分前に入館)
※大仏殿・法華堂・戒壇院戒壇堂・ミュージアム
それぞれに入堂料・入館料が必要です。中学生以上800円・小学生400円
大仏殿とミュージアムのみ共通券があります。
12月16日の執金剛神立像(国宝)など、秘仏の特別開扉時は別途入堂料がかかります。(800円)