皇室の菩提所として御寺と呼ばれる泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山です。
1242年に四条天皇のご葬儀が行われ御陵(みささぎ)が造営されてより、江戸時代の孝明天皇までの歴代天皇・皇后の葬儀ならびに御陵が造営されたことから「御寺・みてら」と呼ばれています。
泉涌寺の見どころとアクセス
泉涌寺へは電車・バスいずれの公共交通機関を使っても10分~20分ほど歩きます。東大路通りから泉涌寺道(坂道です)を南東方向へ上りきった先にありますが、その途中には見ごたえのある塔頭が左右にいくつもあります(非公開寺院もあります)。
また境内に祀られる楊貴妃観音は縁結びや美人祈願など女性に人気の観音様です。
拝観時間・拝観料など
3月~11月(通常期) | 9:00~17:00(16:30受付終了) | 大人500円/中学生以下300円 仏殿・宝物館(心照殿)・楊貴妃観音堂など |
12月~2月(冬期) | 9:00~16:30(16:00受付終了) | |
※毎月第四月曜日は宝物館(心照殿)休館 | ||
特別拝観エリア | 大人300円/小学生以下は同伴者がいれば無料 本坊・御座所・御座所庭園など 御朱印はこちらでのみの受付です。 |
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成人の日 | 泉山七福神巡り | 山内にある8つの塔頭寺院と楊貴妃観音堂を巡ります。 まず福笹を購入してからそれぞれのお寺でお好きな吉兆の授与品(授与品によって値段はさまざまです)をいただき笹につけていきます。 |
3月14日~16日 | 涅槃会 | 日本一大きな涅槃図(約16m×8m)が仏殿に掲げられ、15日には法要が営まれます。 また「花御供・はなくそ」の授与あり(500円) |
10月7日~8日 | 舎利会法要 | 仏牙舎利が請来された日(旧暦9月8日)と伝わる8日には通常非公開の舎利殿で舎利会法要特別拝観が行われます 11:00~ 舎利殿の特別拝観と法話・霊明殿特別拝観・精進料理・お守り付き お問い合わせは泉涌寺寺務所へ(075-561-1551)・泉涌寺公式サイト |
JR京都駅からのアクセスと周辺の観光名所
1・京都駅からJR奈良線で「東福寺駅」下車して徒歩20分ほど
2・市バス208系統(泉涌寺・東福寺行き)で「泉涌寺道」下車して徒歩10分ほど
3・市バス南5系統(稲荷大社・竹田駅東口行き)で「東福寺道」下車して徒歩20分ほど
泉涌寺と塔頭寺院の地図
歴史と見どころ
寺伝によれば855年、左大臣・藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)が神修上人に自身の山荘を与えて法輪寺(のちに仙遊寺)としたのがはじまりで、のちに荒廃していたこの地を宇都宮信房(豊前宇都宮氏・武士)から寄進された月輪大師・俊芿(がちりんたいし・しゅんじょう)が、1218年に自身が学んだ中国の宋にならって大伽藍の造営を志し、1226年に主要伽藍が完成。
その際、境内の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めたと伝わり、その清水は現在も水屋形(みずやかた)の中で湧き出でています。
このことから月輪大師を開山としています。
月輪大師には時の天皇・上皇をはじめ、北条政子・北条泰時など多くの公家や武家も帰依し、皇室の勅願寺となりました。
四条天皇の葬儀が行われ、御陵が造営されるとますます皇室との結びつきが強くなり、以後南北朝時代から安土桃山時代の天皇、江戸時代の天皇・皇后の葬儀が行われ御陵が営まれたことから香華院(こうげいん)となり「御寺」と呼ばれるまでになりました。(香華とは、香や花を仏前にお供えすることで、香華院とはそのために建てたお寺・菩提寺/菩提所のことです。)
幕末には塔頭・子院が36ケ寺にもなりましたが、明治の神仏分離令、廃仏毀釈などによって、現在は別院の雲龍院と8つの塔頭寺院がのこり、毎年成人の日にはこれらのお寺に祀られる七福神を巡る「泉山七福神巡り」が行われています。
国宝「泉涌寺勧縁疏」をはじめ楊貴妃観音像など多くの寺宝
「泉涌寺勧縁疏・せんにゅうじかんえんそ」は泉涌寺を再興する際に、月輪大師が勧進(かんじん・お寺の建立や修復のために寄付を集めること)のために書いたもので、この書によって後鳥羽上皇より多額の資金が寄進されるなど、朝野を問わず多くの資金が集められ大伽藍が完成したといわれます。
宋で学んでいたころに入手した黄庭堅(こうていけん/宋の書家)の書をもとに書かれた墨書で、もう一つ弟子に与えた「附法状・ふほうじょう」も国宝に指定されています。国宝のこの書をはじめ皇室ゆかりのお寺として多くの寺宝を所蔵しています。
大門(国の重文)は京都御所の門を移築したもので、これをくぐるとゆったりと下る参道の先に仏殿(国の重文)が見えます。
この坂を下り始めるとすぐ左に女性に人気の楊貴妃観音様が祀られる楊貴妃観音堂があり、それに続く心照殿(宝物館)では月替わりで天皇の念持仏や御宸筆(天皇の直筆)など、皇室ゆかりの寺宝などが公開されています。
楊貴妃観音像(国の重文)は世界三大美女と言われる楊貴妃を寵愛した唐の玄宗皇帝が、彼女の死を悼んで造らせたものとも伝わる白檀の寄せ木造りの像で、縁結びや美人祈願に訪れる女性に人気の観音さまです。
仏殿奥の舎利殿(通常非公開で辰年に公開/また10月8日に特別公開)に祀られる「仏牙舎利・ぶつげしゃり(お釈迦様の犬歯)」とそれを守る韋駄天像・月蓋長者像(がつがいちょうじゃ/ともに国の重文)・十六羅漢像などとともに、1255年に湛海が宋より請来したと伝わります。
またこの舎利殿には天井に狩野山雪によって龍が描かれていて、決まった場所で手をたたくと鳴いているように聞こえる「鳴き龍」になっています。
参道を下りきった先にある仏殿には、運慶作と伝わる阿弥陀・釈迦・弥勒菩薩像が安置されています。
この三尊像は過去(釈迦如来)・現在(阿弥陀如来)・未来(弥勒菩薩)を表す三世仏で、三世にわたって人々を守護してくださることを表しているそうです。
天井の龍、背後の白衣観音・飛天などはすべて狩野探幽筆と伝わります。
この仏殿には毎年3月14日~16日に約16m×8mと日本最大の涅槃図が掲げられます。(涅槃図や涅槃会についてはこちらのページでご紹介しています)
あまりの大きさにお堂内ではコの字に掲げられることから、もとは東大寺に奉納される予定だったとも伝わっていましたが近年ではこの仏殿に合わせて造られ、まるでその場にいたかのような臨場感を演出するために描かれたのもではないかと言われているようです。
15日には法要が営まれ、「花御供・はなくそ」の授与もあります。
現在も皇室の方々の休憩所になる御座所と御座所庭園
仏殿の奥にある御座所(ござしょ)は特別拝観エリア(別料金で拝観可能)で、今でも皇族の方々がご参拝になるときには休憩所として使われています。京都御所にあった皇后宮の御里御殿(おさとごてん)が遷されたものです。
海会堂(かいえどう)は神仏分離令によって京都御所の御黒戸(おくろと/仏間)が遷されたもので、歴代天皇・皇后・皇族の方々の念持仏(ねんじぶつ)が奉安されています。
霊明殿(通常非公開)には四条天皇木像のほか明治天皇から昭和天皇までの天皇皇后のお写真や歴代天皇の御位牌が祀られ、内部の荘厳具は皇室よりのご寄進によるもので、現在でも毎日回向(えこう/仏事法要)されています。
これらの建物に囲まれるようにある御座所庭園は池泉鑑賞式の庭園で、低い築山に苔が敷き詰められ、モミジや松・サツキやドウダンツツジ、ウメモドキなどが植えられ、仙洞御所(譲位された天皇のお住まい)より遷された泉涌寺型と呼ばれる雪見型灯籠が据えられ、落ち着いた雰囲気のお庭になっています。なおこの雪見灯篭は桂離宮のものと双璧をなすといわれます。
御陵「月輪陵」
境内の東側にある「月輪陵・つきのわのみささぎ」「後月輪陵・のちのつきのわのみささぎ」には四条天皇から仁孝天皇までの二十五陵、五灰塚、九墓が営まれ、さらに奥には孝明天皇・英照皇太后陵があります。
また境内北には泉涌寺に最初に葬られた後堀河天皇の「観音寺陵」があります。(後堀河天皇は四条天皇のお父様です)
・陵とは天皇・皇后・皇太后・太皇太后を埋葬するところ
・灰塚とは火葬された場合に髪・骨・灰と3つの形見が残り、それぞれを形見分けという形で別のところに葬むった場合の、灰を埋葬したところ
・墓とは皇太子や親王など皇族を埋葬するところ
と定義されているようです。
江戸時代までは仏式で葬儀が行われ石塔(天皇は九重塔)が建てられていましたが、明治の神仏分離令によって天皇陛下の陵も古式に戻されたために、孝明天皇陵は円墳型の陵が別の場所に築かれました。葬儀自体は泉涌寺で仏式で行われたため、孝明天皇が仏式で葬儀の行われた最後の天皇となりました。
参道には多くの塔頭寺院
東大路通りから泉涌寺道を上ってゆくとほどなく泉涌寺の総門が見えてきて、門のすぐ近くにあるのが即成院(そくじょういん)です。
阿弥陀如来と二十五菩薩が極楽浄土を表す仏像群で、中尊は像高約5.5m・二十五菩薩もそれぞれ約1.5mの大きさで、さほど大きくないお堂には仏像がひしめき仏像のオーケストラと表現されます。
また那須与一のお墓(大きな石塔)があることでも知られます(源平合戦の屋島の戦いで船上の扇の的を浜から見事に射落としたあの那須与一です)。境内には扇型の紙石鹸付きおみくじがガチャに入って授与されていて、願いを込めてその石鹸で手を洗うとご利益があるとされています。
毎年10月には菩薩に扮した「二十五菩薩お練り供養」なども行われています(お稚児さんの参加者を募っていますので興味のある方即成院公式サイトをご覧ください)。
さらに進んでゆくと右手に法音院が見えてきます。珍しい写仏体験のできる寺院で、ご本尊・不空羂索観音像は写仏を体験すると本堂内陣から拝観させていただけます。
少し進むと左手に「釈迦如来」と書かれた看板が入口にある戒光寺(かいこうじ)があります。東宮時代の後水尾天皇の身代わりになられたと伝わる、丈六のお釈迦様(光背・台座を含めると約10mのとにかく大きな立像です)が、決して大きいとは言えないお堂いっぱいに安置されています。
禁裏御陵衛士のお墓もあり、さまざまに条件がありますが墓参の申し込みを受け付けています。2023年に開創800年を迎え、現在大修理のための寄付を募っています。ご興味のある方は戒光寺公式サイトから詳細をご確認ください。
少し行くと右手に悲田院への入口の看板が見えてきます(要予約075-561-8781/悲田院へは今熊観音寺の先からもアクセスできます)。印相が逆の逆手の阿弥陀立像や快慶作と伝わる宝冠阿弥陀如来座像、土佐派や橋本関雪の襖絵などを所蔵しています。また境内からは京都市内を一望にでき、普段は参拝客もまばらなので絶景を独り占め!にできる穴場スポットです。
さらに進むと左手に新善光寺がありご本尊は長野の善光寺を模して造られたと伝わる阿弥陀如来像です。2018年に初めて本堂内部・大方丈の襖絵などが公開されました(基本は非公開の寺院です)。書院前には見事な紅枝垂桜があり、花の頃にはお庭を見せていただけるようです。
次にあるのが今熊野観音寺で、赤い鳥居橋を渡った先に境内があります。弘法大師が熊野権現の霊示を受けて草庵を結んだのがはじまりと伝わり、ご本尊は弘法大師作の十一面観音像と体内仏(秘仏・同じお姿の御前立像は公開されています)と伝わります。境内には西国三十三観音霊場の全てのご本尊が石仏として祀られる今熊野西国霊場があり、毎年9月21日~23日には大講堂で四国八十八カ所お砂踏法要が行われます。88カ所のご本尊の掛け軸の前にそれぞれの霊場より取り寄せられたお砂が据えられ、それを踏んで参拝すると四国霊場を巡ったのと同じ功徳が積めるとされます。
北隣にあるのが来迎院です。大石内蔵助ゆかりの茶室があることで知られ、仇討ちの密議が行われたとも伝わります。現在の建物は再建されたものですが、内蔵助筆の「含翠」の扁額がかかります(菓子付き400円でお抹茶もいただけます)。日本初の三宝荒神像や内蔵助の稔侍仏の将軍地蔵尊・運慶作と伝わる阿弥陀如来立像など所有していますが公開はされていません。
向かいにある善能寺は日本で初めて荼枳尼天(だきにてん)を祀ったといわれ、本堂は航空機事故の慰霊のため遺族によって建立され、重森三玲作庭の石庭「遊仙苑」が無料で公開されています。(こちらからは大門を通らず北の受付口から泉涌寺の仏堂付近へアクセスできます)
そしていよいよ大門から御寺泉涌寺へ。境内に至る幅の広い下り坂の左側に楊貴妃観音堂と宝物館があります。楊貴妃観音は美人祈願・良縁・縁結びのご利益があると人気です。皇室の菩提寺であることから御陵やお位牌などをお守りし(非公開)、また火災で焼失した際のお堂の再建には京都御所から建物が移されています。
大門をくぐらず駐車場をさらに進むと雲龍院があります。5つある書院には、障子の4つの窓から庭園の「椿・灯籠・紅葉・松」がそれぞれ見える蓮華の間、丸い悟りのある窓のある悟りの間などがあり、どの書院でも庭園を眺めながらお抹茶をいただけます。また大石内蔵助筆の「龍淵」の扁額もあります。
泉山七福神巡り
坂を上って行きながらの順番で塔頭寺院のご案内をしましたが、総門から時計回りにぐるりと塔頭寺院を参拝する「泉山七福神巡り」が毎年成人の日に行われています。塔頭にはそれぞれ福神(番外2カ所を含め9カ所)が祀られていて、まず即成院で福笹をいただき(無料)、それぞれのお寺でお好きな吉兆の授与品(授与品によって値段はさまざまです)を笹につけていきます。
総門脇の即成院から始めます
1番福禄寿(即成院)→2番弁財天(戒光寺)→番外愛染明王(新善光寺)→3番恵比寿神(今熊野観音寺)→4番布袋尊(来迎院)→5番大黒天(雲龍院)→番外楊貴妃観音(泉涌寺)→6番毘沙門天(悲田院)→7番寿老人(法音院)です。この順番で巡ると総門から時計回りにぐるりと一周できます。
この日泉涌寺は無料で境内が解放され、あずき粥・甘酒・昆布茶が振る舞われているお寺もあり(数量限定)、普段は静かな泉涌寺への坂道が福を求める方たちでにぎわいます。
また同時に御朱印巡りもできます。専用色紙/1000円に各寺院での御朱印はそれぞれ300円です。
御朱印は決まった金額になりますが、福笹の縁起物は300円~さまざまにありますので、あれもこれもとつけていくとあっという間にかなりの金額に!
新春の縁起ものですが、くれぐれも散財にならないように福をいただきましょう。
秋には勤労感謝の日の頃の1週間ほどに「泉山七仙花めぐり」が同じお寺で開催されます。こちらはスタンプラリーで、全部のスタンプを集めると記念品がいただけます。
お隣の東福寺への近道ルート
泉涌寺の境内の西側には東福寺の境内が広がります。泉涌寺道を戻って東福寺駅方面まで行き、東福寺へと歩くとぐるっと回ってかなり歩くことになります。
実はこのお寺どうし、住宅街をぬけると歩いて10分ほどで行き来ができます。途中ちょっと分かりづらいですが、わざわざ大通りへ戻っていったり来たりしなくてよいので、両方を参拝される方は時間短縮になると思います。
東福寺からは上りになるので泉涌寺側から下るのがおススメです。悲田院の門手前で門へ続く道と左に行く道が分かれています。この左の道を行くと日吉ヶ丘高校学校の敷地周辺の坂道や階段を下り裏門へいたり、さらに住宅街を道なりに下っていけば東福寺の北側へ出ます。
もう一つは雲龍院からさらに南へ進んでゆくと、伏見稲荷大社まで京都一周トレイルの道がつながっているので、南に進んで陵墓を抜け小道を行くと日吉ヶ丘高校の裏門まえから続く道へとでますので道なりに下っていきます。(こちらのほうがわかりやすいかも)
※分かりづらい場合は大門などで受付の方に聞くと教えていただけると思いますが、途中わかりやすい案内板などはあまりありませんので(何度か歩いていますが、数年前の時点では小さな案内板しかありませんでした)、地図を確認のうえ自己責任で挑戦してくださいませ。
詳細は別ページで地図付きでご紹介していますので、そちらをご覧くださいませ